TRANSLATION

第65回 企業のウェブサイト①

土川裕子

金融翻訳ポイント講座

こんにちは。翻訳講座とはいえ、ベタな翻訳を長く続けてしまいましたので、今回は金融・ビジネス翻訳をするうえでしばしば必要となる「企業の調査」についてお話ししたいと思います。年次報告書やサステナビリティ・レポートといった企業発の文書を翻訳する場合はもちろん、株式や債券の銘柄として第三者が取り上げているケースでも調査は必須です。

本講座では様々な文章を取り上げてきましたが、具体的な銘柄(企業)や商品が登場するものは一つもありません。それはネット上の公開空間で、実在する企業や商品に関する文章を切り刻むと、なんやかやと問題が出るためです(クローズドの講座であれば、ばんばん出せるのですが)。しかし実際のところ個別企業等の説明に悩まされる場面は非常に多いので、周辺情報だけでもお話ししておこうと思います。

まず、年次報告書やサステナビリティ・レポートなどの翻訳であれば、当然ながらその会社のウェブサイトが第一の情報源となります。はい、誰でも思いつきますね。

それ以外でも、例えばファンドなど第三者が発行するレポートで、個別企業に関する説明が出てきた場合に、その会社のウェブサイトが案外参考になることがあります。

例えばA社は業績が良かったので株価が上昇し、ファンドのパフォーマンスにプラス/マイナスに寄与(貢献)したとか、A社は業績の拡大、ひいては株価上昇が見込めるので、ポジションを拡大する、といったような説明の場合ですね。

しかし、原文では「A社」とあるだけで、事業内容はおろか、(本拠地のある)国の名前すら書いてくれないことがあります。でも日本で馴染みのある企業など数が知れていますから、最低限の補足説明が必要です。例えば「アナログ半導体の世界最大手A社」「米国の自動車メーカーB社」「オランダの決済ソリューション大手C社」といった具合。それだけでなく、A社の株価急落の要因となった業績悪化の理由は何か、B社の不正会計問題はどうなったのか、C社とD社の買収問題は解決したのか、E国の新規制がF社にどう影響するのか、といった複雑な内容について、原文の説明があまりに舌足らずで、そのまま訳しただけでは翻訳者本人にすら意味不明なことが少なくありません。

具体的な例を挙げるわけには行きませんので、ここは架空の訳文で何となく雰囲気をつかんでいただければと思います。

当ファンドのパフォーマンスにマイナス寄与した銘柄としては、2023年度第1四半期(1-3月期)の業績が大きく落ち込んだA国のIT大手AAAが挙げられます。ただし同社は2023年度の業績について、小幅ながら改善するとの見通しを明らかにしました。当ファンドでは、AAAの株価が弱含んだ局面を捉え、ポジションを積み増しました。

内容としてはごく単純です。上記では、業績の時期を「2023年度第1四半期(1-3月期)」としていますが、実は原文ではfirst quarterとしか書いてくれないことが非常に多いのです。しかし日本の読者相手に「第1四半期」だけでは許されませんので、泣く泣く翻訳者が調べることになります。

なぜ許されないか?それは会社によって決算期が異なるためです。例えば日本企業に多い3月決算の企業であれば、「第1四半期」とはすなわち「4-6月期」を意味します。しかし世界的に見れば暦年決算(1月始まり)企業が多いですし、他にも、例えばZaraの親会社であるInditexは2月始まり、Microsoftは7月始まりですので、第1四半期はそれぞれ2-4月期と7-9月期になります。

クライアントによっては、訳文も「第1四半期」だけで良いと言ってくれるところがありそうですが、わたしはそういう幸運なケースに当たったことがありません(泣)。そこで仕方なく企業のサイトへ行き、確認するのです(世界的大企業であれば、メディアの記事も参考になります)。

もう一つ例を挙げましょう。

C国CCCとD国DDDによる買収提案が報じられていたB国の鉄鋼大手BBBは、一度破談が伝えられたCCCとの間で単独での交渉を再開したことで投資家の懸念が和らぎ、株価が上昇しました。当ファンドはこれを機にBBB株をすべて売却し、利益を確定しました。

この訳文は極めてクリアですが、原文を訳しただけでは「分かっている人にだけ分かる」文章になってしまうことが、これまた少なくありません。極端な話、上記の下線部分がconcerns about the merger moderatedだけで済まされていたりします。しかし「買収を巡る懸念が和らぎ」だけでは、BBB社が買収しようとしていたのか、されそうになっているのか、どんな問題なのか、さっぱり分かりません。

英語をそのまま読む投資家は、これで満足するのだろうか?といつも思いますけれども、それは我々翻訳者には関係のない話。クライアント様が求める限り、BBB社のサイトに行ってプレスリリースを見たり、ニュース記事を探し回ったりして、BBB社についてほとんど知識のない読者でも、一読して必要最低限のことが分かるように仕上げねばなりません。

こうした運用報告書では、一つ一つの企業の情報にそれほど深入りする必要はありませんが、個別企業に関する翻訳ともなりますと、その会社のHPにしか情報がない、なんてことが少なくありません。そういうわけで、企業サイトから情報を(短時間で)読み取るスキルが必要になるわけですが、ずいぶん長くなってしまいましたので、きょうはここまで。また来月、具体的な例を挙げて見て行きたいと思います。

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記事を書いた人

土川裕子

愛知県立大学外国語学部スペイン学科卒。地方企業にて英語・西語の自動車関連マニュアル制作業務に携わった後、フリーランス翻訳者として独立。証券アナリストの資格を取得し、現在は金融分野の翻訳を専門に手掛ける。本業での質の高い訳文もさることながら、独特のアース節の効いた翻訳ブログやメルマガも好評を博する。制作に7年を要した『スペイン語経済ビジネス用語辞典』の執筆者を務めるという偉業の持ち主。

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