TRANSLATION

Vol. 57 翻訳者はリサーチの天才!?

ハイキャリア編集部

翻訳者インタビュー

【プロフィール】

大熊あつ子 Atsuko Okuma

数々の出版翻訳の実績がある大熊あつこさん。昨年8月には訳書『天才 ~その「隠れた習慣」を解き明かす~』が発売されました。出版翻訳の合間に産業翻訳の依頼もこなすパワフルな大熊さんに、翻訳部ディレクター・松本がインタビューしました。

翻訳者になったきっかけ
ジャズに触れながら育った子供時代

松本: 現在、翻訳者という言語を武器としてお仕事をされていますが、言語に興味を持った一番初めのきっかけや思い出などはありますか?

大熊:私の両親は日本にジャズが入ってきてブームになった時代のジャズミュージシャンでした。そのため、家ではずっと洋楽が流れていて、中学くらいから、洋楽やロックにどんどんはまっていきました。

あと、本が好きで結構読んでいましたね。

大学は理系に進んでエンジニアになりましたが、別の仕事をしたいと思ったとき、子供のころから馴染みがある、洋楽と本というのが、翻訳者になった背景としてあると思います。

松本:学生時代英語は得意な方でしたか?

大熊:それが実は苦手でした。英語は好きだったけど成績は良くなくて、苦手だから理科系に進んだような人間です。

松本:なかなか聞かないお話ですね!英語が得意だから通翻訳の道に進まれる方も多いので、珍しいと思います!

大熊:学校時代に、英語の歌詞を自分で日本語に訳して遊んでいました。高校の音楽のテストで、教科書の曲に限らず、ギターでもいいし、歌ってもいいし、合唱でも何を使って表現をしてもいいという課題で、ビートルズの有名な「Let it be」を、ピアノの弾き語りで、1番を英語で、2番を日本語に訳して歌ったところ、すごく高い点数をもらえました!(笑)

松本:面白いですね!Let it be は何て訳されたのですか?

大熊:サビの部分は、「今は何も考えず時の流れに身をまかせよう」と訳しました。

松本:私も洋楽が好きで、特にエド・シーランが好きでよく聴いています。ネットで歌詞を検索すると、誰かが訳した和訳も見ることが出来るのですが、訳によって語調や雰囲気が全然違いますよね。私は英語のまま受け取って訳そうとは思わないのですが、なぜ訳したいと思ったのですか?

大熊:やはりプロのジャズシンガーである母の影響があるかもしれないですね。当時、江利チエミさんなどいろいろなシンガーが出てこられて、英語の歌詞を部分的に日本語に訳して歌っていました。それを真似したのが高校時代の「Let it be」ですね。英語の方が耳馴染みが良くて好きですが、時々日本語に訳してみたくなるというか。

松本:確かに、日本文化に落とし込んだらどのような表現になるか?興味深くはありますよね。

翻訳の道へ
舞台で日本語訳に挑戦

松本:実際に翻訳の道を歩むことになったきっかけはありますか?

大熊:私はずっとジャズダンスを習っていました。ちょうどエンジニアを辞めようかと考えていたところ、インストラクターが関西弁ペラペラなアメリカ人で、自分の書いた脚本で舞台作りを希望していました。

でもさすがに日本語で全部書くのは難しいので、そこで、私に英語から日本語に訳せないか?と言われて、豚がおだてられて木に登るという感じで、トライしてみました。

その後翻訳学校へ

大熊:その後、翻訳の仕事を考え始めましたが、何も勉強していなかったので、エンジニアの仕事を続けながら、翻訳スクールへ行くことから始めました。産業翻訳や、文芸翻訳を学びました。

松本:翻訳スクールに通い始めてからはどのくらいでお仕事を頂けるようになったのですか?

大熊:スクールへは4~5年通いました。優秀者へはお仕事を紹介しますというのが謳い文句でしたが、頑張って上級クラスに上がっても、学校で紹介できるお仕事の量も減っていたようで、良い先生もだんだん少なくなり、紹介してもらえるお仕事がない状態でした。

スクールの先生は辞めてしまっていましたが、長くお世話になった先生に相談したところ、IT系のWebニュースの翻訳を紹介されました。

トライアルを受けてみて、これダメかな?と思ったのですが、調べたり、裏付けをとったりといったことがトライアルの段階でできていて、文章的にはいまいちな点や、誤訳もありましましたが採用されました。

私は理系なので、調べたり裏付けを取ったりというのが身についていたという点が評価されたようです。

産業翻訳よりも文芸翻訳をやりたいという思いもあったのですが、Webニュースであれば文芸翻訳に近いとも言われしばらく頑張っていました。ただ、Webニュースの翻訳もだんだんお仕事が減ってきて、これでは食べていくのはしんどいなと感じて、産業翻訳だの文芸翻訳だの言っていられないと思い産業翻訳を専門とされている翻訳エージェント様のトライアルを受けるようにしました。

コンピュータプログラムを訳したり、契約書を訳したり、特許を訳したりするのだと、一言一句マニュアル化されているような感じなので、書籍の文芸翻訳とはずいぶん違うかとは思います。

でもファッションブランドであれば読みやすい文章、綺麗な文章やクライアントさんに合った文章が求められるので、ユーザーに合った文章を書くという意味では、文芸翻訳と、産業翻訳の違いを感じませんでした。

出版翻訳の世界へ

松本:最初にお仕事としての出版翻訳との関わりはいつでしたか?

大熊:お仕事の幅を広げていきたいと思っていた時期ですね。出版翻訳の前にリーディングの仕事をしていました。リーディングとは、出版社さんがこの本を出版してみようかなという原書を編集さんがいちいち全部読んで判断するわけにもいかないので、翻訳者さんにこれを読んでレポートを提出してくださいという依頼のことです。そのレポートが、その本を出版するかどうかを検討するための基礎資料になります。

量としては大体A4で3枚~6枚程度のレジュメにまとめます。作成期間は大体1週間から10日くらいですね。

松本:リーディングのお仕事はどのくらいの単価になるのですか?

大熊:謝礼程度ですね。

松本:出版社からすると次のプロジェクトになるかどうか分からないから、そんなに出せないですもんね。

大熊:ただ謝礼程度ではあるのですが、編集さんは経験を積んでいらっしゃいますので、リーディングの書き方やまとめ方で、大体翻訳者の実力も見えたりします。

リーディングをやっただけで、他の翻訳者さんに振られることもないとは言えませんが、そのまま翻訳者になるケースも多いです。

私の場合は、何冊か実績もあるので、リーディングお願いしますと言われそれが出版となったら多分もらえると思います。

松本:出版翻訳で南沢さん名義(大熊さんのペンネーム:南沢篤花)での最初のお仕事はなんですか?

大熊:『ソロモン王と聖なる天使たち』です。

出版社さんが抱えていた翻訳者さんが忙しくて対応できないということで、別の人を探していて、全然お付き合いのない出版社さんだったんですけど、突然連絡が来ました。

ネットで翻訳者ディレクトリというサイトに登録していて、書籍のリーディングの経験をプロフィールに書いていたら検索でヒットしたらしいです。数人に声をかけていたと思います。

リーディングはありますが、翻訳自体の経験はありませんでした。

まずは参考までにということで、原稿が添付ファイルで送られてきたのですが、勘違いして必須ではなかった試訳を提出したところ、出版社さんに評価されて選ばれました。

松本:翻訳でフリーになられて何年目の話でしたか?

大熊:翻訳をフリーで始めて10年くらいは経っていました。

出版翻訳の全体的なフローについて

松本:出版翻訳の全体的なフローを教えてください。

大熊:初めての出版社さんであったら、編集者さんにまず1章の試訳を出します。そして、トーン、重さや言葉遣いのすり合わせをします。何度かお仕事している編集者さんでしたら試訳はないです。章ごとに区切って提出することもありますね。

私としては全部最後まで訳して提出の方が良いですね。最後まで訳してから前後のつながりが分かることがあり、最初に戻って修正が必要な場合もあるからです。

松本:我々産業翻訳の世界では、翻訳者さんとチェッカーさんが確定させた訳文をコーディネーターが変えることってほぼほぼ全くないのですが、出版翻訳では編集者さんが変えることがあるのでしょうか?

大熊:十人十色だと思います。かなり赤を入れる編集者もいたり、代わりの表現を提案してくる方もいたり。

松本:ではもう二人三脚だから相性が合わないと大変そうですね。編集者さんとの相性はどう感じますか?

編集者さんが変えた文章の方が、自分としてもこっちの方がいいなと思うこともあれば、なんでこんな風に変えたのだろうと思うときもあると思うのですが。

大熊:明確な理由があればそれを添えて、ここの部分を踏まえているからこの表現にしているから変えないでほしいということを伝えますね。

赤入れまくっているうちに、こんがらがっちゃって主従が繋がらなくなったり、修正しているうちに意味が真逆になったりみたいなこともありますね。

松本:出版翻訳の仕事を受けているときはほかのお仕事はどうされているのですか?

大熊:出版翻訳のお仕事をお受けしている2か月は、一般的には他のお仕事を受けられない状況になります。出版翻訳の友人で産業翻訳なんてもうできないよという方の大半は、その間お仕事に没頭しちゃって、他のお仕事ができないことが原因だと思います。

出版翻訳はギャラ的にも食べていくのが難しい世界です。だから多くの方はパートナーがいる共働きの方ではないでしょうか。自分一人で食い扶持を稼がなくてはいけないという方は少ないです。

私自身今は結婚していますが、当時は独身だったので、生活費を稼がなくてはいけませんでした。

出版翻訳は、スパンが長く、2か月で翻訳を仕上げて、編集さんが赤入れし、修正するのが数回あって、印刷に回して出版させるので、余裕で半年ぐらいかかるんです。その後2か月後くらいにギャラが入るので、経済的にしんどいです。

そのため出版翻訳のお仕事を引き受けて、その合間に産業翻訳をやっていました。

松本:出版翻訳では、出版後の印税も入るのですか?

大熊:買い取りもたまにありますが、やはり印税方式の方が多いと思います。

松本:初めてご自身のお名前が本に出た時はどんなお気持ちでした?

大熊:それはもう天にも昇る気持ちでした。出版翻訳のお仕事が来るとき、慶應義塾大学の通信教育課程で卒論を書くタイミングでした。その時に出版翻訳のお仕事の依頼が来て、卒論はダメでもまた再度チャンスはあるけれど、書籍はこのチャンス逃したらもう2度とないだろうなと思い頑張りました。

松本:書籍1冊でどのくらいで書き上げるのですか?

大熊:2か月くらいですね。ノンフィクション系の方がリサーチの量が膨大で時間が掛かります。

松本:書籍翻訳の本が書店に並んでいるときはどう感じましたか?

大熊:感動しました。ペンネームとはいえ自分の名前が書店に並んでいるというのが。

ペンネームの由来とは

松本:ちなみにペンネーム「南沢篤花さん」の由来とは?

大熊:父の芸名である北沢と、私の下の名前の篤子を使用しようと思いました。そしたら姓名判断の先生に、北沢は字画が悪いと言われて、篤も男字で字画が悪いと言われました。でもすごくいい字だし両親がいろいろ考えてつけてくれた言葉なので使った方が良いので篤(あつ、とく、あい)の次の言葉を七画の漢字にするよう言われて南沢篤花になりました。

尊敬している翻訳者さんはいますか?

大熊:芹澤恵さんの翻訳が好きです。随分キャリアのある方でミステリーが多いですが、最近はその他の翻訳もされています。

芹澤さんの訳は漢語がよく使われています。私にはそのタッチがないので勉強になりますね。

お亡くなりになったR.D ウィングフィールドさんが書かれた『クリスマスのフロスト』というフロスト警部シリーズがすごく面白いです。

翻訳で調べものをする場合について

松本:大熊さんはノンフィクション系が多いですよね。

大熊:ノンフィクション系だけでなくミステリーもやりたいと思っているのですが、なかなか門戸が狭くて。

得意不得意で言えば調べるのが得意なのでノンフィクション系が得意かもしれません。

書いている作者もいろいろな文献を紐解いて引用しています。そのため邦訳が出ていたらその訳をそのまま引用するのが一応原則です。

これを調べるのが大変で、注釈に原書のタイトルとページが書いてありますが、日本語のページとは全く異なるので突き合わせるのが大変です。

松本:本はご自分で購入されるのですか?

大熊:たいてい図書館で済ませます。当時関西に住んでいて、大阪府立図書館にはかなりの蔵書がありました。リサーチ用の書籍を借りるために、スーツケース2つを持っていって、パンパンにして帰ってきたことがありますよ。

手に入らないものは自腹で買ったり、よほど興味があれば購入したりしますね。

出版翻訳の喜びとは?

松本:今回の訳書『天才 ~その「隠れた習慣」を解き明かす~』の登場人物ですごいな、突出しているな、と思ったのは誰ですか?

大熊:人間としてはどうしようもないアインシュタインとピカソですね。やはり大半が変わり者でとんでもない人でした。でもその発想がすごいなと思います。

ピカソは、だんだん成熟していくと、大人として絵を描いてしまって、逆に子供のような絵を描けるようになるのに長い年月を費やしてしまった、というのがあります。ノンフィクションの面白さですよね。

松本:ちょっと鳥肌が立ちますね。そのような「人が知らないこと」が本に情報としてまとめられて、出版されるから売れると思うのですが、「知らないこと」を訳すって難しくないですか?「今まで日本語になかった知識」が書かれているわけで。

大熊:そこが面白いですね。調べていくうちに自分も知識が増えていくし、今まで知らなかった分野のことも知って、またちょっと興味が沸いてきて、図書館で借りてきていたけど、もうちょっとちゃんと買って読みたいな、面白いな、関連書籍も読んでみたいなと、興味を深めていけます。

松本:出版のお仕事があるなしにかかわらず、結構いろんな情報は本を読んで収集されているのですか。

大熊;本は好きですね。母親の介護でここ4~5年忙しくて本を読む時間もありませんでしたが、今はそれを取り返すように読んでいます。

松本:やはり翻訳者さんは本好きじゃないと難しいですね。僕も何人かインタビューしていて、確実に皆さん本が好きですよね。

大熊:活字が好きじゃなかったら、多分、翻訳の仕事はつらいと思います。

今後の目標

松本:今後の目標を教えてください。

大熊:今出版のお話は新しいものが来ていないので、持ち込み企画を考えたいなと思っています。あと私は産業翻訳のお仕事も力を入れたいので、日英翻訳も勉強しようかなと思っています。

ITもおぼろげな知識しかないので、確実な知識が欲しいと思っています。夫はITの専門家です。私はITが分からず、夫は英語があまりできないので、4月から2人で週に何回か勉強の時間を決めています。

松本:産業翻訳では、クライアントによっては、品質にこだわらずに何よりもスピード重視のケースがあります。社内の部署でしか見ない、自分がサラッと読みたいだけとか、色々なパターンがあります。出版翻訳に携わる方は、自分の作り出す訳文の品質にこだわっている方が多いかと思いますので、気持ちの面で難しい部分があるかと思います。大熊さんは、その辺の気持ちの整理はどうされていますか?

大熊:時間的な制約がある場合はあまり気にならないタイプですね。もちろん「品質のよくない訳文」というのは気持ち悪くてしょうがないですけど、クライアントが求めていることなので。

何よりも私は仕事を詰め込むのが好きなんです。割とワーカーホリックでお仕事大好き人間です。仕事が詰まっていたら家事を全部放棄して、おにぎりだけで仕事するみたいなのでもオッケーです。空いた時間があるのが大嫌いな人間です。ぼーっとテレビを見るとか苦手ですね。

出版翻訳を目指している方にメッセージを

松本:出版翻訳を目指している方にメッセージはありますか?

大熊:とにかく顔と名前を売らないと話にならないので集まりに顔を出すと良いです。

何か人と違うことをして積極的に営業努力することが絶対に大事だと思います。

松本:ありきたりなハートフルなメッセージより100倍役に立つアドバイスだと思います。

大熊:自分がこれいいなって思う原書を読んでそれこそリーディングやレジュメを作って、編集部に送ってもいいと思います。それを10本やれば多分覚えてもらえます。

松本:また来たぞ、この人ってなりますよね。そこに何か光るものが見つけてもらえば仕事につながっていきますよね。

それでは本日はお時間をいただきありがとうございました。

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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