TRANSLATION

Vol.59 トップクラス翻訳者の意外な翻訳術

ハイキャリア編集部

翻訳者インタビュー

【プロフィール】
加藤まり子 Mariko Kato
テンナイン翻訳部の創設初期の頃から、長年に渡り翻訳をお引き受け頂いている加藤さん。チェッカーやコーディネーターからは、間違いなくテンナイン登録者の中でトップクラスの実力と評され、絶大な信頼を寄せられています。翻訳部ディレクター・松本が翻訳の秘訣を伺ったところ、全く想像していなかった答えが返ってきました。

翻訳を目指したきっかけ

松本:英語との出会いを教えてください。

加藤:英語が好きで、通訳になりたくて、大学で英語を専攻しました。しかし、大学には帰国子女が沢山いたので、自分の英語能力がとても低いと感じてしまい、コンプレックスを抱えるようになりました。そのため英語はもうあきらめようと思い、銀行に入って英語はほとんど使わず10年程度勤めました。

松本:その後翻訳者を目指したきっかけは?

加藤:社内結婚をして夫がタイに転勤になるのについていきました。会社を辞めたタイミングで、このまま英語から逃げて人生終わっていいのだろうか?通訳は無理でも、英語を読む方は結構自信があったので翻訳ならできるのではないか?と思い、タイからオンラインで翻訳スクールのベーシックなコースの門を叩き2年ほど学びました。

松本:翻訳の学校では、どのようなことを学びましたか?

加藤:大学で一応英語は学びましたが、翻訳の学校では文法の再確認をしました。自分が提出したものに講師の方が赤入れをしてフィードバックしてくれます。また、内容もベーシックな文章から高度な文章へと順に学んでいったので、自然に自分の翻訳がブラッシュアップされたのかなと思います。

コンテストも時々行われており、順位が付きますので競争心を持って学び、実際に一位も取りました。

松本:会社勤めをしていたことで翻訳の仕事に活きていることはありますか?

加藤:チーム意識を持てることだと思います。私は翻訳を受けるだけですが、その後ろにはチェックする人や、レイアウトの修正をしたり、整えたりする人がいてそれを最終的にクライアントに送ってクライアントがまたチェックする一連の流れがあるということは常に意識してやるようにしています。

松本:「翻訳」の仕事の後に、次のステップが何なのか、どういう風に使われているのか分かっているか分かっていないかで、クライアントへの申し送りなどにも違いが出てきます。それが分かっていないと自分よがりの翻訳になってしまうと思います。同じようにチーム意識をもって仕事を引き受けていただける翻訳者さんから、その配慮を感じることができますね。

加藤:一番大変なのがコーディネーターさんですね、翻訳者とチェッカーとクライアントに挟まれて。クライアントから叩かれるのはコーディネーターさんですからね。

夫の転勤先のバンコクで翻訳の仕事を始める

松本:最初から翻訳の仕事は順調でしたか?

加藤:バンコクで翻訳の仕事を始めました。最初に1社登録しましたが、登録だけして翻訳のお仕事をいただけず1年ぐらい経ってしまいました。

これは駄目だなと思って他のエージェントを探していたらたまたまテンナインさんの求人があったので、電話インタビューを経て2012年に登録しました。銀行に勤めていた経験があることから金融関係のトライアルを受け仕事を少しずついただくようになりました。

松本:1年間翻訳のお仕事がなかったんですね!今の加藤さんのご活躍からすると想像できません…!

翻訳者さんの業界は、需要と供給のバランスで、供給の方が圧倒的に多いんですね。芸能界のように、なりたい人はいっぱいいるけれど皆が皆なれるわけではないですからね。やはり最初の駆け出しの頃はお仕事がかなり少ないので、自分の位置を確立するまでは難しいと思うんですけど、1年間どのように耐えられたんでしょうか?

加藤:翻訳のお仕事がない時期でも、翻訳ソフトTradosを入れてこんな機能があるんだなとか、こんなソフトがあるんだなとか練習をしていました。

松本:すごいですね!仕事がない時期でも、翻訳ソフトの練習をするなど勉強の時間に費やされていたのですね。

加藤:翻訳者の世界もプロスポーツと一緒で、例えば野球選手の場合、新人はベテランが怪我したときに出られるチャンスがあり、そのチャンスを生かせればやっと出られるみたいなところがありますよね、それと同じだと思います。

ベテランの方がお盆休みで依頼できないからと、たまたま依頼をいただけたりすることがあります。新人のころはそういった仕事をちゃんとやっていくのが良いと思います。

最初に登録したエージェントでは全然仕事がなくて、テンナインさんに登録したところぼちぼちと仕事をいただけるようになって少しずつ増えていきました。今では3社に登録しています。

松本:現在はひっきりなしにお仕事のオファーが来ていると思いますが、売れっ子なりの苦労があると思います。エージェントといい付き合いしたくても断らないといけないときもあると思いますが、エージェントとの上手な付き合い方など意識されていることはありますか?

加藤:お仕事はどのエージェントだからということはなく、必ずいただいた順番にお受けしています。

またお話いただいたメールは即座に返信しています。私がお引き受けできない場合、コーディネーターさんは他の人を探さなくてはいけませんので。

仕事と子育ての両立

松本:翻訳のお仕事と子育ての両立は大変でしたか?

加藤:翻訳のお仕事を始めた時は、子供はまだ幼稚園生で、今は高校生と大学生になりました。

会社勤めではないので、家が回る程度にお仕事をお受けしていました。それこそ子供が寝た後も深夜まで仕事をすることも当然ありましたけど、お勤めしている人に比べたら通勤もないので、それほど両立は苦労しなかったと思います。

松本:お子さんに邪魔されて集中力が途切れることはなかったですか?

加藤:子供が幼稚園に行っているときや寝た後に仕事をしていたので邪魔されるということはなかったですね。子供が家にいたらとても翻訳の仕事はできませんでしたが。

翻訳センスについて

松本:ずばり加藤さんの「翻訳センス」についてお聞きしたいです。

例えば昔、ある高級ファッションブランドのクライアントから、他の翻訳者さんの訳文に大クレームが入った際に、加藤さんにリライトをお願いしたら、クライアントにご満足いただいたケースがありました。

どうしてあのようなクライアントが求めている綺麗なセンスのいい日本語に訳すことができるのでしょうか?

センスは「持って生まれたもの」で、特訓して身につけられるものではないという意見もあります。加藤さんの「翻訳センス」は翻訳スクールで培われたものでしょうか?それとも読書などの経験から自然と身についたものでしょうか?

加藤:うーん、どちらでもないと思います。読書好きでもないですね、本は読まないです。一応金融分野をメインにやっているので、日経新聞には目を通しますが。

松本:翻訳者さんで本をあまり読まないと答える方は初めてですね!皆さん読書をしないと翻訳が上手にならないとおっしゃいます。

先ほどのファッションブランドのクライアントの話ですが、加藤さんの訳文を見て、「クライアントはこれを求めていたんだ」と分かりました。すごく簡潔になっているんですよ。無駄な言葉がなくて、それがすごいなと思いました。無駄なものは省こうという意識はありますか?

加藤:無駄なものを入れるセンスがないんですかね。たまに翻訳のチェックのお仕事をいただきますが、文章はすごく上手いんですけど、原文にない言葉がいっぱい入ってくる人っているんですよね。それは私にはできないです。そういうセンスはないと思います。

松本:どうすれば加藤さんのように翻訳することができるようになるでしょうか?

加藤:ホリエモンさんが駆け出しの頃、コンピューターの仕事をしていたときに、やったことのない仕事でもできますと言った後、ものすごく勉強して調べて調べて、期日までにちゃんと出すというのを続けてきました、というのを読んだことがあって、私も結構それに近いことをやっています。

ファッションブランドの案件でもそうですが、できますと言ってからクライアントのホームページをほとんどくまなく読んで、文体やよく使われる言葉を確認します。私は自分で文章を作り出すのが苦手なので、真似をしたいと思っています。仕事の話が来たら、文体や語り口(優しいのか硬いのか)など全部目を通して、できるだけそれを真似するようにというスタンスでやっています。私の場合はセンスというより真似をするということです。むしろ自分の文章スタイルがないのが逆に悩みです。

松本:その「真似をする」というのが加藤さんのセンスの秘訣かもしれませんね!

加藤:それに真似をした方が省エネになります(笑)

松本:クライアントのホームページを確認して、クライアントはこういう文章が好きだから、そのテンプレートに合わせるというやり方ですね。

加藤:テンプレートに合わせるのがすごく好きですね。逆にそうしておけばクレームは来ないですからね。

松本:すごくビジネスパーソン的な考え方ですよね!いつ頃から翻訳をする際、「真似をする」とか「テンプレートに合わせる」というやり方がクライアントに評価されると分かり、合理的でビジネスライクな訳文スタイルを確立されましたか?

加藤:翻訳スクール時代に、時々夫に自分の訳文を見てもらいました。上司に文章を上げたり部下の文章を確認したりする仕事をしている視点から見てもらったら、かなり直されました。。。そこで自分にはセンスがない、って悟ったと思います。

松本:翻訳者さんだと、自分は言葉を扱う職人だという考えを持っていらっしゃる方もいます。そうするとやはり、私だったらこういう風に訳すというこだわりを持って翻訳をしていらっしゃいます。そしてもちろん、それを求めているクライアントもいます。

加藤:文芸翻訳でしたらその方がいいかもしれませんね。実務翻訳の場合はもう既に3ヶ年目標とか5ヶ年目標とかで決まったフレーズがあったりするので、そのようなものは訳さずに済むわけですね。その方が省エネだし、真似をして使ってしまえば絶対クレームは来ないので。結局、ホームページなどを全部調べて準備に入った方が楽なんですよね。

松本:翻訳とリサーチにかける時間の割合はどれくらいですか?

加藤:半々ぐらいだと思います。

松本:リサーチをしてしまえば文章はもう、当てはめていくみたいな感じですね。

加藤:インターネットは結局みんなから読まれるので、会社は読みやすいと思うものを上げるじゃないですか。だからそれを真似しておけばいいんだろうなと。自分の会社を「弊社」と書くか、「当社」と書くか、「私」か、「私たち」か、「我々」なのか、全部真似をしておいた方が楽ですからね。

松本:クライアントも修正がなく楽ですもんね。

今後携わりたい翻訳のお仕事

松本:今後携わりたい翻訳のお仕事はありますか、出版翻訳をやりたいなど。

加藤:出版翻訳は私にはセンスがないのでやらないですね。実務翻訳一本で考えています。

コーディネーターさんもクレームをもらいたくて仕事しているわけではないと思うので、「加藤ならなんとかしてくれるだろう」と信じてもらって、ご相談してもらえる翻訳者でいたいと思っています。ですので、来たお仕事は、場合によっては多少時間がかかるかもしれませんが、何とかするつもりでお受けしています。

松本:後進の育成にも興味があるということでしたが、例えば我々から育成したい翻訳者さんの訳文を見ていただきフィードバックいただくなど、育成プログラムのご相談は可能ですか?

加藤:他のエージェントで、チェックのお仕事もしています。この方の翻訳にはこのような傾向があるというフィードバックをすることもあります。

松本:テンナインからもチェックの役割をお願いできますか?第2第3の加藤さんが必要ですからね。

加藤:お話しいただければ順にお受けしていますので、チェックしてほしいと言われればお受けします。

松本:ハイキャリアで翻訳講座をやっていただくのもいいですよね。

加藤:いやいや、そんなとんでもないです。私には独自のスタイルがないので教えるものもないと思います。

松本:独自のスタイルではなく、どのようにコピーをするのか?というスタイルを教えていただくのもいいかもしれませんね。

加藤:結構厳しいコメントを書くこともあります。納品物として完成していない翻訳、例えば半角や全角、漢字などが記事の中で統一されていないことに対しては厳しいですね。どんなに駆け出しで訳文がイマイチだったとしても、納品物として完成している翻訳を出すことができている人は伸びると思います。

ネット上の文章でも、やはり半角や全角、漢字などが統一されていないサイトは、マイナスの印象を受けてしまいますね。

松本:加藤さんの場合、ご自身のスタイルはなく「既存訳の真似をする」ということが強みであることが分かりました。ただそのスタイルはまさにAIが得意としていることだと思います。AI翻訳と戦っていく立場にあると思うのですが、AIとの付き合い方はどう考えていますか?

加藤:原文と突き合わせてあっているか、人間が読んだとき、同じニュアンスで理解できるかどうかはAIには分からないので、人間がチェックする必要があると思います。

松本:AIが翻訳したものをチェックするお仕事(=ポストエディット)を受けていただくことは可能でしょうか?

加藤:将来は、AIが翻訳したものをチェックするチェッカーの役割でも良いと考えています。最終的な判断は、人間にしかできないと考えています。私は「翻訳」というお仕事にこだわりはありません。他の人の訳のチェックであれ、AI翻訳のチェックであれ、「私を頼って、私の所に来たお仕事を引き受ける」というのが私のスタイルです。

松本:最後に翻訳者になりたい方へのアドバイスをお願いします。

加藤:私は今でも、いい翻訳が出せなければ次はないと思いながら仕事をしています。自分がベストだと思う翻訳を出し続けることだと思います。

翻訳の仕事を始めたばかりでまだお仕事がない方は、ベテランの翻訳者さんが急な理由で仕事ができないチャンスを待つと良いと思います。仕事が来ることはコントロールできませんので、チャンスが来た時のために準備をしておいてください。

松本:翻訳エージェントとしても、仕事があるかないかはクライアント次第なのでそのお言葉は心にしっかり止めておきたいです。本日はありがとうございました!

≪おまけ≫
加藤さんのご趣味はクロスステッチ。日々「言葉」を考えるために疲れた頭をスッキリさせることができるそうです。

 

 

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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