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法則と破壊とグルーヴと

葛生賢治

考えることば ことばで考える

ボストンの大学院に通っていた時のこと、現象学の授業でテーマを決めてプレゼンを行うことになり、私はフランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティを取り上げることになりました。

メルロ=ポンティについて深く学ぶのは初めてのことで、渡米してまだ2年に満たないということもあり、アメリカ人を前に英語で哲学のプレゼンを行うことに大変大きな不安を感じました。翌日から図書館に幾度となく足を運び、夜中にアパートに帰ることもしばしば。そして当日ほとんど徹夜で朝を迎えました。

緊張して話しながら他の学生の顔を見ると、自分の説明が「正しいことは言っているけど聞いている人に響いていない」状態になっていることが手に取るように分かりました。

見るに見かねた教授は「ケンジ、その説明はいいけど、前に君が私の研究室に来た時に質問したあのポイントに関してはどうかな?」と尋ねました。

慌ててその質問への答えを話し出すと、自分でも驚くほど言葉がするすると口をついて出てきました。質問の核を的確に掴んだ説明だと自分でもはっきりと分かるほど。学生たちも明らかにさっきまでとは違う表情で私を見ています。結果として、そのクラスの成績はAとなりました。

即興で何かを行うことは時として大きな効果を発揮します。

「即興」を意味するimprovisationの動詞形improviseはim+proviseという形ですが、proviseの部分はラテン語で「準備する」を意味する動詞providereから来ています。そしてpro+videreのvidereは「見る」という意味。proは「前」ですから、前を見る、つまり準備する。それに否定の意味のimをつけたのがimprovisationの語源です。つまり即興とは「準備しない」ということ。

私がボストンで経験した即興は、正に準備しないことが予想を超える結果を生み出す例だったのでしょう。

けれども、ただ単に何も準備しないことを「即興」と呼ぶことはできないでしょう。もしもプレゼン当日まで何も準備しないでいたら、私の成績は惨憺たる結果となったはずです。

即興というものが力を発揮するのはどういう場合でしょうか?または、そもそも「即興」とは何でしょうか?

ここで全てを説明することは不可能ですが、即興には大まかに2つの特徴があると思います。

  1. 即興は法則を意図的に破ることである
  2. 即興はコミュニケーションのひとつである

ジャズの即興演奏を思い浮かべてみてください。「フリージャズ」という言葉が示すように、ジャズミュージシャンたちは自由に演奏し、それぞれのテクニックやセンスをぶつけ合います。でも即興演奏は演奏であって、特定の曲を弾くというルールに則って音楽を生み出していきます。

つまり、即興演奏は「法則を破る」ような演奏はしつつも、「法則を破り続ける」という法則に則っているのです。法則を破ることを法則として続ける、言い換えれば、存在しないはずのルールに則る、ルールが存在しないことをルールとして続ける、「無いこと」が「あること」となる逆説の瞬間を生きる、ということ。

抽象的に聞こえますが、実際に即興で起きることは極めて感覚的・肉感的です。これが2つ目のポイント。即興は何もないところには起きません。そもそも何かを行うべき「呼びかけ」から即興は始まります。私が教授の的確な質問に答える形で予期せぬ結果を生み出したように、ジャズの即興演奏も基本的にコール・アンド・レスポンスの形で行われます。

1961年の映画「パリの旅愁(Paris Blues)」にその典型を示すシーンがあります。ポール・ニューマン演じるトロンボーン奏者ラムと、シドニー・ポワチエ演じるその友人でサックス奏者のエディがジャズクラブで即興演奏をするシーン。世界的トランペット奏者の役であのルイ・アームストロングが出演していて、彼が突然クラブに現れて即興演奏を始め、ラムとエディがそれに応える形でジャムセッションが始まります。この最も盛り上がるシーンの動画がこちらにあります。

サッチモ(ルイ・アームストロングの愛称)が愛嬌のある目で合図し、サックス、ギター、そしてトロンボーンにバトルを仕掛けます。「ほら、お前ならどうする?」という具合。合図するサッチモは何も伝えていません。彼は既に「ルールを破るというルール」を体現しており、伝えることの不可能なルール、名前すら付けることのできないルールの息吹きそのものとなっています。その息吹き、つまりグルーヴ感そのものが次の奏者に伝わり、それぞれのやり方で「ルールを破るルール」が再解釈・再構築・再展開されていきます。

コミュニケーションの形態としてこれほどリアルものが他にあるでしょうか。1)ルールを破る、2)ルールを破ることがルールとして成立する、3)「名付けることができないルール」は抽象的な言葉ではなく、熱となって次々と広がりを見せる。コミュニティとはこのコール・アンド・レスポンスの中から生まれてくるものなのかもしれません。ジャズの歴史自体が黒人コミュニティの歴史と切っても切り離せない関係であることからも、それは明確でしょう。

ジャズをモデルにすれば熱のあるコミュニティが生まれる、というのではなく、むしろ逆で、熱のあるコミュニティが生まれる普遍的な条件をたまたまジャズが体現していた、そのような歴史があった、と考えられないでしょうか。

さて、私たちが生きる21世紀の世界はどうでしょうか。今まさに世界中のあちこちで政治、経済、文化、教育のすべての領域がマーケットの原理で覆われようとしています。すべてをデータ化して限りなく誤差のない未来を予測し、費用と投資を最も効果的に利潤に結びつける「可視化できるルール」が人の営みのあらゆる領域を飲み込もうとする世界。そこでは「言葉にならないルール」をルールとして成立させる場所がどこまで残されているのでしょうか。

 

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<今日のことば>

grooveはもともと「溝」を表す英語ですが、1930年代にレコードの溝の上を針が滑ることから派生してミュージシャンが良い演奏をすることを「in the groove」と呼ぶようになり、現在の意味に至るそうです。

市場原理はmarket principles、ちなみに費用対効果はcost-effectiveness、cost-benefit performance、投資対効果はreturn on investmentと訳されます。

哲学の一分野である「現象学」はphenomenologyと呼ばれます。

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記事を書いた人

葛生賢治

哲学者。
早稲田大学卒業後、サラリーマン生活を経て渡米。ニュースクール(The New School for Social Research)にて哲学博士号を取得した後、ニューヨーク市立大学(CUNY)をはじめ、ニューヨーク州・ニュージャージー州の複数の大学で哲学科非常勤講師を兼任。専門はアメリカンプラグマティズム。博士論文の表題は「ジョン・デューイ哲学における宗教性」。

現在は東京にて論文執筆・ウェブ連載・翻訳活動に従事。
最新の発表論文はデビッド・リンチ、ジョン・カサヴェテスの映画分析を通じたリチャード・ローティー論。趣味は駄洒落づくり。代表作は「クリムトを海苔でくりむとどうなるんだろう」。

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