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世界とソフィー

葛生 賢治

考えることば ことばで考える

私が渡米して最初に通った学校はBoston Collegeでしたが、イエズス会系の大学であるにも関わらず哲学科ではニーチェの哲学を教えるコースもありました。しかも担当教授はその分野でも著名な哲学者です。ご存知のようにニーチェは「神は死んだ」という言葉を残したドイツの哲学者。

同じ哲学科の友人に聞いてみたことがあります。彼は南アフリカ共和国からの留学生でイエズス会の神父でもありました。「イエズス会の大学なのにニーチェを教えるなんて、何故だろうね?」彼は神父ですから、もちろんニーチェの哲学には共感していません。語気にわずかに不快さを滲ませて言った彼のことばを今でも覚えています。「よく分からないけど、おそらくsophisticationの姿勢を示すためだろうね」

sophisticationの意味を明確に理解した経験でした。日本語では「洗練」と訳されることが多いですが、英語では違う意味合いを持つこの単語。私も渡米する前からsophisticationが「洗練」と完全に一致するわけではないと理解していたものの、いまいちその芯を捉えていませんでした。

日本語でいうところの「洗練」とは何でしょう。ウェブ版広辞苑で引いてみると:

物を洗ったりねったりして仕上げるように、文章や人格などをねりきたえて優雅・高尚にすること。みがきをかけて、あかぬけしたものにすること

デジタル大辞泉では:

  1. 詩歌・文章の表現を推敲して、よりよいものにすること
  2. 人柄や趣味などを、あかぬけのした優雅・高尚なものにすること

どちらにも共通するのは「優雅」や「垢抜け」という意味。「洗」って「練」るわけですから、汚れや余分なもの、無骨さや野暮ったさが取り除かれ、素朴な状態に手が加えられて質の高いものになること、それによりある種の美しさが宿ること、と言えるでしょう。「エレガントさ」と同義で使う場合もあると思います。

英語のsophisticationはどうでしょうか。ウェブ版Cambridge Dictionaryでsophisticatedの意味は:

  1. having an understanding of the world and its ways, so that you are not easily fooled, and having an understanding of people and ideas without making them seem simple(世の中や物事の有り様を理解しているため、他人に簡単に騙されることがないこと、また人や考え方を単純化せずに理解すること)
  2. intelligent or made in a complicated way and therefore able to do complicated tasks(知的であったり複雑に作られているため、複雑な作業が行えること)

#1の例文としてこういう文章が挙げられています。

But for the less politically sophisticated, this same ideological ordering of values should be less common.(しかし政治的にsophisticated度合いが低い人にとっては、このイデオロギーによる価値の順序づけはあまり一般的ではないはずだ。)

日本語の「洗練」と随分違う印象を受けないでしょうか。決して「エレガントさ」と同義と捉えられません。#1の意味のポイントはunderstandingということば。sophisticatedはそもそも古代ギリシア語で「知恵のある人、教師」を表すsophistesに由来し、当時の知識人で論理や弁論術を教える教師だった「ソフィスト」につながっています。そしてソフィストはしばしば議論を複雑にして詭弁を使うと批判されたことがあり、それが#2に繋がります。単純ではなく複雑なものに対応すること。高度に設計されたコンピューターのシステムなどもsophisticatedと描写されます。

つまり、物事を深く理解し、物事の複雑さを理解したことで達成される高い質、という意味です。

私の友人の例がまさにそのsophisticationを表しています。イエズス会の教育機関にも関わらず無心論者の哲学をそのまま教えること。神学者と無心論者の議論には決着はありません。それぞれの世界観は決して交わることがないまま議論は平行線をたどります。でも、そこで相容れない相手の世界観に距離を保ちつつ共存を試みる態度。様々な分野の知識を身につけ、人々の考えを深く知り、議論で決着のつかない地点にたどり着き、そこで「何が何でも決着をつけてみせる」「唯一絶対の答えを出してみせる」という試みを保留して、より価値的な共存を目指す態度。居心地の悪さ、気まずさ、割り切れなさを伴いながら。

世界中が「敵」と「味方」に分かれてお互いを罵倒し合う政治的濁流に飲み込まれようとする現在では、sophisticatedな考えや態度を獲得するのは難しいことかもしれません。でもよく知ること、物事をよく理解することでその可能性は開かれるはずです。

物事を深く理解することが唯一絶対の答えを求める態度を保留し、決着がつかないものを決着がつかないまま受け入れる態度につながると言えるのは何故でしょうか。

理解には判断が必要です。「今日は晴れている」と理解するということは、今日の天気に「晴れ」という概念を適用できると判断したことを意味します。そこで「なぜ今日は晴れていると言えるのですか?」と聞かれた場合、単に「私は今日の天気に対して『晴れ』という概念を適用したから」と答えるだけでは不十分です。聞かれた者は「そもそも『晴れ』とはどういう意味か」も答えられる必要があります。「今日は晴れている」という判断と、その判断を支える「晴れ」の基準が受け入れられるものか、という二つ判断をしなければならないのです。

つまり、

  1. 「今日の天気」に「晴れ」が適用できるかどうかの判断
  2. 「晴れ」の基準が基準として受け入れられるかの判断

という二つの次元の判断ができて初めて「今日は晴れている」ことを理解している、となります。

ここで重要なのは、両方の判断を同時に行うことは構造的に不可能だということ。私たちは普段#1の次元で何かを判断しています。そしてその判断に疑問が投げかけられた時、私たちは#2の次元に移行し、#1の判断を支えていた基準が正当か否かを判断しなければなりません。それが不十分であることが分かれば修正を加え、新たに#1で適用していく。物事の理解とはこの両方の次元を行き来することで得られるものと言えるでしょう。

「世界観」が「世界を理解すること」、つまり「世界を判断すること」と言い換えられるなら、それは世界に対して#1の次元で判断を下すことを意味します。「世界は多様性を受け入れるべきである」「この国家は多様性を受け入れていない」「このコミュニティはこの部分に多様性を取り入れるべきである」等々、世界に「多様性」という基準を照らし合わせ、判断を下します。

そこで、ある人がコミュニティの中で女子割礼や誘拐婚を「多様性」の名の下に「これらは文化的な伝統行事だから実行すべきだ」と主張したらどうでしょう。私たちは#2の次元に移り、「そもそも多様性とは何か?」を問わざるを得なくなります。#1の次元の判断は常に#2の次元に移行する可能性に開かれている、とは言えないでしょうか。

つまり世界観はそれ自体で完結することはない、ということ。#1を支える基準に疑問を投げかけ、批判的に吟味し、違うレベルの判断を加える可能性に開かれている、ということです。

私たちはお互いに決して完結しない世界観の中と、世界観に疑問を投げかける世界観の外側とを行き来する運命にある。それをhaving an understanding of the world and its ways(世の中や物事の有り様を理解する)こと、つまりsophisticationと呼べないでしょうか。

「洗練」ではなくsophisticationを推し進めること。それが必要な時代を私たちは生きているように思えてなりません。

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<今日のことば>

「垢抜ける」も訳すのが難しい単語ですが、文脈によりpolished、refined、sophisticatedなどの形容詞が当てられることがあります。また、glow upという言い方もあります。メイクやファッションに磨きをかけてスタイリッシュに変身することをglow up transformationと言います。

「無骨な」はroughやunsophisticatedと訳されます。
「平行線をたどる」はfail to reach an agreementです。

Written by

記事を書いた人

葛生 賢治

哲学者。
早稲田大学卒業後、サラリーマン生活を経て渡米。ニュースクール(The New School for Social Research)にて哲学博士号を取得した後、ニューヨーク市立大学(CUNY)をはじめ、ニューヨーク州・ニュージャージー州の複数の大学で哲学科非常勤講師を兼任。専門はアメリカンプラグマティズム。博士論文の表題は「ジョン・デューイ哲学における宗教性」。

現在は東京にて論文執筆・ウェブ連載・翻訳活動に従事。
最新の発表論文はデビッド・リンチ、ジョン・カサヴェテスの映画分析を通じたリチャード・ローティー論。趣味は駄洒落づくり。代表作は「クリムトを海苔でくりむとどうなるんだろう」。

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