TRANSLATION

人称代名詞の訳し方

宮崎 伸治

出版翻訳家による和訳レッスン

今回のレッスンでは、人称代名詞の訳しかたを検討していきます。

まずは he の訳しかたです。次の he はどう訳したらいいでしょうか。

Would you go and see who is there and what he wants?

直訳:誰がそこにいて、彼が何を望んでいるか見に行ってもらえませんか。

文脈から「そこにいる人物」が男性であることが分かっている場合はこの訳でいいのですが、男性であることが分からない場合は、はたしてこのように訳していいでしょうか。

念のために he の定義を辞書で調べてみましょう。すると以下の定義が載っていました。

(1)男性または動物のオス
(2)人間をあらわす代名詞で男女を問わない
(3)動物をあらわす代名詞でオス、メスを問わない

先の英文も上記(2)である可能性があります。つまり「彼」ではなく正確にいえば「彼または彼女」の可能性があるのです。修正してみましょう。

修正訳:誰がそこにいて、彼または彼女が何を望んでいるか見に行ってもらえませんか。

しかし「彼または彼女」と訳してしまうと間延びした感じがします。代わりに「その人」と訳してもいいのですが、もっと簡単にできないでしょうか。工夫してみましょう。

宮崎訳:誰が何の用で来ているのか、ちょっと見にいってもらえませんか。

こうすれば自然になりました。

次の例に移りましょう。

特定の男性を指すhe 以外は訳しかたに気をつけなければなりませんが、では、特定の男性を指す場合は「彼」と訳しても大丈夫でしょうか。次はある小説からの引用です。ある男の子がお父さんのことを述べている箇所です。he をどう訳しますか。

My father is a marvellous man.  You might think, if you don’t know him well, that he is a stern and serious man.  He isn’t. He is actually a funny person.

直訳:私の父はすばらしい人です。もしあなたが彼をよく知らないのなら、彼が厳しくてきまじめな男だと思うかもしれません。彼はそうではありません。彼はじっさいはとてもおもしろい人なのです。

日本人の男の子が父親のことを「彼」ということはあまりなく、「お父さん」と呼ぶのが一般的でしょう。第三者に向けて言うときも「彼」よりは「父」ということのほうが多いでしょう。ここでは「父」と修正してみます。

宮崎訳:私の父はすばらしい人です。私の父のことをよく知らない人なら、厳しくてきまじめな男だと思うかもしれませんが、そうではありません。じっさいはとてもおもしろい人なのです。

次はwe の訳を考えてみましょう。

次の例は心理学書から引用したものです。「話している相手が目の前で変化することがある。顔の表情、言葉づかい、身振り、姿勢などが変わり、それによって顔が赤くなったり、動悸がしたり、呼吸が荒くなったりする」ーこれに続くのが次の英文です。

We can observe these changes in everyone.

直訳:私たちは、これらの変化をみんなの中に観察できる。

英文では主語を省略することはまずありませんが、日本文では内容から「私たち」を指していることが分かる場合は省略するのが普通です。省略してみましょう。

修正訳:これらの変化はみんなの中に観察することができる。

これをさらに読みやすく直してみましょう。

宮崎訳:このような変化はだれにでも見られる。

この例のように「we」を「私たち」を訳さないほうが読みやすくなる場合が多くあります。

ただし、「私たち」といっても、具体的に指すものが「私たちの会社の社員」のことを指していることもあれば、「私とあなた」や「私たち日本人」を指していることもあります。そして場合によっては「私とあなた」とか「私たち日本人」と訳したほうがわかりやすい訳文になることがあります。

では次の例を見てみましょう。

We live on rice in Japan.

直訳:私たちは、日本ではコメを常食としている。

この場合の「私たち」というのは「日本人」のことを指していますので、「日本人」を主語にして言い換えれば、読みやすくすることが
できます。修正してみましょう。

修正訳:日本人はコメを常食としている。

これでもいいのですが、もし文脈から判断して、日本人が外国人に向かって話しているといことが分かれば、次のように訳すこともできます。

宮崎訳:私たち日本人はコメを常食としている。

次の例を見てみましょう。これは幼児教育の本ですが、著者は誰をさして we といっているのか注意して訳しましょう。

With very young children, we often wish to concentrate on teaching issues of safety.

直訳:ひじょうに若い子どもにたいして、私たちは、しばしば、安全の問題を教えることに集中したい。

この「私たち」とは誰のことでしょうか。内容が幼児教育であることや「私たち」の前に「ひじょうに若い子どもにたいして」とあることから、「私たち」は「両親」であることがわかります。では「私たち」を「両親」と修正してみましょう。ついでに「しばしば」も「~することが多い」と変えて読みやすくしてみましょう。

修正訳:ひじょうに若い子どもにたいして、両親は安全の問題を教えることに集中したがることが多い。

これでもまだぎこちなさが残っています。「安全の問題」とか「集中したがる」を原著者が伝えたいメッセージを汲んで読みやすい日本語に修正してみましょう。

宮崎訳:親は、子どもが小さいうちは、何が危ないのか教え込もうとして躍起になるものです。

今回のレッスンのポイントをおさらいしておきましょう。
(1)英語の he は男性だけでなく、女性も含まれている場合があることに注意して訳す。
(2)人称代名詞を「彼」「彼女」などと訳すよりも、具体的に「お父さん」「お母さん」と訳したほうが日本語として自然な場合はそのように訳す。
(3)Weをいちいち「私たち」を訳さなくても分かる場合は省略する。
(4)Weが具体的に誰のことを指しているかを訳出したほうがわかりやすい場合は、訳出する。

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記事を書いた人

宮崎 伸治

大学職員、英会話講師、産業翻訳家を経て、文筆家・出版翻訳家に。産業翻訳家としてはマニュアル、レポート、契約書、パンフレット、新聞記事、ビジネスレター、プレゼン資料等の和訳・英訳に携わる。
出版翻訳家としてはビジネス書、自己啓発書、伝記、心理学書、詩集等の和訳に携わる。
著訳書は60冊にのぼる。著書としての代表作に『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』(三五館シンシャ)が、訳書としての代表作に『7つの習慣 最優先事項』(キングベアー出版)がある。
青山学院大学国際政治経済学部卒業、英シェフィールド大学大学院言語学研究科修士課程修了、金沢工業大学大学院工学研究科修士課程修了、慶應義塾大学文学部卒業、英ロンドン大学哲学部卒業および神学部サーティフィケート課程修了、日本大学法学部および商学部卒業。

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