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移ろいゆく季節の中、ふと蘇る光景、感じる風、漂う香り

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通訳・翻訳者リレーブログ

素足にサンダル&半袖Tシャツでは、ちょっと心許なくなってきた、今日この頃。冷房のリモコンにも、いつの間にか触れなくなりました。
季節の移り変わりを実感します。

その季節、その瞬間瞬間を、ふと想い出しては、こころ穏やかになれるような、そんな過去の一場面が、誰にも必ずあるのでは…。

季節の変わり目は、ひとを遠い過去へと誘い、一瞬の内に、夢見人にしてくれます。

               *****

春——

私にとり、春とは、もっとも曖昧でぼんやりとした、静かで淡々とした季節です。
日本では、入学式や入社式の時期。新しい世界へと、足を踏み入れる瞬間、期待に胸膨らます、爽やかな風吹く頃。しかし私には、そういう特別な想い出がないからなのか。それ以上に、“これからあのベタベタした暑苦しい日々がやって来るんだ”…という思いがこころを占領し、うんざりしているからか。
とにかく、毎年のこの短い数か月は、そう楽しむこともなく、無下に遣り過ごしてしまっているような気がします。

しかしそんな中、いま振り返り、真っ先に思い出すのは、実は今年の春。人生の中の、もっとも新しい章。
それは二度にわたる、富山路。その途中、車窓から臨んだ新潟の大地。
最初は、まだまだ冷たい風吹く頃、雪がまだうっすら地面を覆う4月。それから、梅雨の訪れの少し前、田畑の緑眩しい6月。まるで印象の異なる、ふたつの絵。自然の生み出す色とは、僅か2か月の間で、こんなにも変わるものなのか…。新鮮な驚きを覚えました。
降り立ったのは、自動改札機もない、木造の小さな駅舎。駅員とちょっとした言葉を交わしながら、切符を渡す瞬間に感じた、小さな幸せ。そうして、初めて訪れた町なのに、足踏み入れた瞬間に迎えてくれた、とても懐かしい風に、懐かしい香り。
時間を気にせず、終着駅のことも考えず、のんびり各駅停車の旅は、こころ洗われて心地良い。それも雑念の湧かない、その時々の風景と静かに向かい合える、ひとり旅が断然いい。
この後に大津・京都・奈良へと続く、この小さな旅は、一眼レフを持っての、初めての遠出ということもあり、尚更に、忘れられない数日間となりました。

後年振り返るたび、東京からちょっと離れた、北陸と関西の素朴な町々での、柔らかなこの数日間を、懐かしく思い返すことに、きっとなるでしょう。そんな予感が、いまからしています。

夏——

肌にまとわりつくような、重い空気。強烈な、夏らしい夏。
その感覚が蘇るたび、こころは遥か彼方、ある地方都市へ。

うんざりするような、日本の夏。でも、せっかくのこの季節。どうせならこの空気感を、とことん味わい尽くそうと、数年前から、毎年のように訪れている、東北の夏祭り。
青森のねぶた、秋田の竿灯、岩手のさんさ。
太陽も沈み、辺りは薄暗くなっているにも拘わらず、服が身体に貼りつく、あの蒸し暑さ。あの人込みと熱気。屋台から漂う、焼きそばやタコ焼きなどの、濃厚な匂いが、辺りの空気をより一層熱くする。その中を軽やかに響きわたる、囃子やハネトに群衆の掛け声。そうして弾むこころ乗せた、下駄と鈴の音。

しかし今年は、うまく予定が立てられず、どちらへも行けず仕舞い。その結果、盛り上がりに欠ける、物足りない夏となってしまいました。
蒸し暑いのが苦手で、秋が恋しくてたまらないのに、それでもあの熱気を体感せずして、私の夏は終わらない。改めて感じた今年です。

日本の夏の夜に、祭りはよく合う。
来年の夏は必ず、必ずまた、東北へ向おう……。

秋——

木々の葉が色づき始める、いまのこの季節。
空気も軽く感じられるようになり、少しばかりの寂しさも、こころを過ぎる頃。しかしその後に訪れる、大好きな冬という季節を想うと、その寂しさを軽く打ち消すほどの、強い期待感が…。夏の過酷な暑さで、もっているエネルギーを使い果たし、消耗し切った重い身体にも、一気に生気が戻ってきます。
“やっと逢える”。気だるさの中の安堵感。

仲秋の名月。なんて美しい響きなのでしょう。
ふと見上げた夜空に描かれた、幻想的な絵。まるで水墨画のような、その美しさに、思わず足を止め、魅入ってしまったのは、あれは何年くらい前のことだったか…。
めっきり涼しくなってきた、心地好いそよ風を感じながら、漆黒色の空に浮かぶそれは、ちょっと手を伸ばせば、簡単に触れられそうな大きさですが、でも、けっして触れてはならないような、とても神聖な光を放っています。
その度に、月と太陽の動きと共に生きていた、太古の人々に思いを馳せます。
思えば、“これを写真に納めたい!”…と強く思ったのが、一眼レフを手に入れようと考え始めた、そもそものきっかけでした。いつか愛機を連れて、たとえば、何処か名もなき小さな寺を前に、それを眺めてみたいもの。

紅葉。愛でるようになったのは、いつの頃からだったでしょう。
それはカナダ時代でも、南米時代でもなく、10代の頃でも、20代の頃でもなく。恐らくは30代に入ってから、ここ日本でのことだったと思います。
そう、紅葉を愛でるのは、色々な経験を積んできた、大人になってからの、ちょっとした贅沢な愉しみ。そうして場所は、絶対に日本がいい。
日本の紅葉は、本当に美しい。それも深紅の海が、辺り一面に広がっているのではなく、たとえば、ぽつねんと佇む寺や石像と、そこに聳え立つ紅葉群。長い歴史をくぐり抜けてきたものと、自然の織り成す美とが、静かに奏でる旋律。
忘れられない光景として、こころの奥深くに残ります。

そうして、冬——

四季の中で、もっとも好きな冬。もっとも色々な過去の場面を、すぐに思い起こすことのできる、素敵なこの季節。
凍てつくような、寒い日々。身もこころも引き締まり、凛とした気持ちになります。そうして視界に映る光景は、透明感に溢れ、ドキドキするほどに、美しい。

中でも、いまでももっとも鮮明に、こころの中にあるのは、人生の中のもっとも古い章。カナダでの幼き頃。
マイナス20度にもなる、深々とした、ロッキー山脈の麓の小さな町。何処を見渡しても、360度、白…白…白…の世界。そんな中、頬っぺたを真っ赤にしながら、隣近所の友だちと、家の前庭で、雪だるま作りに夢中になっていた日々。
まずは下から順に、腰、胴、頭。少しずつ、小さくしていく。そう、玉は絶対に3つ、2つではなく。それが出来上がったら、両手をつける。使うのは、裏庭で拾ってき

木の枝。目はバーベキューの時に使う、四角い石炭ふたつ。鼻は冷蔵庫の中にあった、小さなニンジン。最後に、頭上に帽子を乗せる。これは地下室から持ってきた、赤いプラスチックのバケツを、ちょっとだけ拝借。
完成したら、その子のそば、降り積もる雪の上、パッと真っ直ぐ仰向けになり、そのまま静か〜に、両手を上下にパタパタ動かす。しばらく同じ動作を繰り返したのち、ゆっくり慎重に、立ち上がる。そうしてそのまま、パッと前に出て、いまいた場所を、そっと振り返る。
…と、そこには、一足先に誕生した雪だるまと、それから自分と同じ背丈の天使が、ほら雪の中、可憐に舞っています!
子供たちは、その後も大忙し。どんなに寒い日にも、日夜、雪だるま&天使に、水を蒔かなければ、そうしなければ、ふたりはすぐに、姿を消してしまうから…。

私のこころの中にある、とても愛おしい、カナダの冬の一場面。
それは歳月と共に、色褪せるどころか、益々鮮明になっている、人生の中の大切な大切なひとコマ。

               *****

いまこの瞬間、この季節は、私の人生の中の、どんないちページとして、刻まれてゆくのでしょう。
それはどんな温もり、どんな色、どんな香りを放ち、どんな旋律を、奏でてくれるのでしょう。10年20年30年後の私に、どのように語りかけてくれるのでしょう。
そうして私は、何処でどんな想いで、そのいちページを、紐解くことになるのでしょう……。

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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