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瞬時の判断

Hubbub from the Hub

通訳・翻訳者リレーブログ

背番号8さんが書かれていた、都内某所で行われた本ブログのオフ会。緻密なリサーチを元に翻訳をされるととさんや、ダイナミックな雰囲気の背番号8さんと、実際にお会いできる非常に有意義な時間でした。色々なお話をしている間に、自分は通訳に求められる瞬時の判断が好きである、ということを強く再認識し、今回の投稿はそれについて書いてみたいと思います。

一般に通訳も翻訳も非常に似通った仕事であり、片方のスキルを身につけることで、もう一方もこなせるようになる、と思われている2つの仕事ですが、実際には本当に沢山の違いがあります。その中でも大きな違いの1つは、訳す作業にかけることのできる時間ではないでしょうか? 比較的時間に余裕のある逐次通訳であっても、「この単語はどう訳そうかな?」と5秒も悩んでいれば、聴衆の目は通訳者に注がれるでしょう。同時通訳ならなおさらです。同通ブースに入ると思わず訳語に詰まってできてしまった、たった3秒間の無音状態が10分以上に感じるものです。その点、翻訳であれば、「3時間以内に訳文を仕上げて下さい」というケースを除いて、「うーん、この表現はどう訳そう… そうだ、トイレに行って考えよう」ということが可能でしょう(私も実際にそうします)。もちろん、だからこそ翻訳に独特の難しさもあるのですが… このように、常に即出しの訳をしなければならない環境において、瞬時の判断で最善の表現を選び出す作業が、私にとって通訳の大きな魅力です。上手な訳、だけではなく、スピーカーの感情に最適な表現、声のピッチや強弱、間の取り方など、判断すべき材料は沢山あります。ある意味で自分に対する挑戦であり、仕事帰りの電車の中で、「ああ、あの表現は、こんなよりよい訳があったではないか…」と自己反省の材料となります。そして時には「我ながらいい訳だった…」と悦に入ったり…

この「瞬時の判断」の楽しさは、通訳よりも長いキャリアを持つサッカーの審判活動や、アメリカの救急救命士としての活動に通ずることがあります。小学生の試合からプロの試合までを経験しましたが、試合のレベルを問わず、どの試合においても様々な判断をしなければならない局面があります。あるプレーが反則であるか否かといった基本的な判定から、試合の流れを考えた上で、あえて反則を取らずにプレーさせるべきかなど。ほんの数秒遅れて笛を吹くだけで、選手の信頼感を得ることはできません。

瞬時の的確な判断が一層求められるのは、救命の現場です。先日のボストンマラソンの例をとれば、一度に10名近くの患者が到着した場合、どの患者を優先すべきか。ランナーの体調が悪いのは既往症の影響か、それとも熱中症か。場合によっては脱水症状と水分の採り過ぎによるんトリウム分の低下、という正反対の原因が考えられる場合もあります。そのような場合には「現場を楽しむ」という余裕はありませんが、やはり瞬時の判断力を求められる場に魅力を感じます。

と、ここまで格好の良いことを書いてしまいましたが、実際には「今回も失敗だった…」と悔やむことも度々…

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記事を書いた人

Hubbub from the Hub

幼い頃から英語に触れ、大学在学中よりフリーランス会議通訳者として活躍、現在は米国大学院に籍を置き、研究生活と通訳の二束のわらじをはいている。

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