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サービスの心

the apple of my eye

通訳・翻訳者リレーブログ

2週間ほど前だったか、とある独立行政法人が使用する資料を翻訳していたときのこと。
海外の調査機関に依頼したらしいその資料に、ある業界の企業合併についての記述があった。生憎、よく知らない企業だったので、まず事実関係を把握しておきましょうと思った私は、インターネットを立ち上げ、Google に「A Corporation、B Corporation、merger」とキーワードを打ち込み、検索をかけた。するといきなり、自分が訳そうとしている原稿の段落が一字一句違わず、ある英語のニュースサイトに出てきた。

一瞬、なぜそういうことが起こるのか分からなくて戸惑ったのだが、どう考えても、その調査機関の、この資料を作成した担当者が、自分で文章を書くのが面倒だったのか、そのニュースサイトからコピー&ペーストしちゃったと考えるしか、辻褄が合わないのだ。ただし、資料のどこにも「○○から引用」といった出典の記載はない。あきらかにパクリ。
しかも、「一字一句違わず」と上に書いたが、コピー&ペーストをしそこなったのか、途中で丸々1行が抜けてしまっており、たまたま文章の構成から、一見間違っていないような記載ではあるが、業界のトップ企業・2位企業が、3・4位企業と入れ替わってしまうような話の内容になっている。少しでもこの業界のことを知っていれば、この部分を読んだ時に「ん?」と疑問を感じなければいけないようなハナシになっているのだ。

恐らく結構な報酬をもらって作成した資料のはずなのに、この体たらく。しかも英語が滅茶苦茶で、文章の動詞が無いなど、翻訳不能・意味不明な箇所すらある。きっと担当者は英語を書くのがそれほど得意ではなかったのだ。だから面倒で、どっかの記事を盗んできちゃったわけだ。盗んできたと思われる部分だけ、英語の質はまともだったし。

さて、こんな原文にめぐり合ってしまった時、翻訳者はどうするか。
とりあえず、クライアントさんの担当者に連絡を取る。
クライアントさん側で今度は、ユーザ(=今回はその独立行政法人)に連絡を取る。
で、返ってきた答えは「出来る範囲で、原文の不備を指摘しながら翻訳して欲しい」だった。
うわー、それは大変! だって仕上がり14〜5枚の中で、「不備」の箇所は1、2箇所じゃないんだもの。はっきり言って、不備のないセンテンスを探す方が難しいくらい。
結局、動詞の時制がおかしいとか、受動態なのに be 動詞がないとか、形容詞と副詞を間違えて使っているとかという、推測で楽に訳出ができる程度の「不備」は無視し、「これはどうしても分からない!でも一応、このような文章だと仮定してこのように訳しておきます。もしも違ったら、訳はこうなります」といったような、放っておいては意味不明な訳文が出来上がるか、にっちもさっちもいかないくらい原文が欠落だらけの「不備」だけに「訳注」をつけて、合計15個の訳注ができあがった。ちなみに、訳注に料金は発生しないので、これはサービス。

それでふと思い出したのが、昔、通信教育で翻訳を勉強していた時期があって、課題文に文法的な誤りを見つけたときのこと。関係代名詞の使い方が変だったので、いったい、どの名詞にかかる関係節かが分からない。そこで解答欄にその旨を説明し、質問も書いたら、戻ってきた答えが、「原文のどこが誤りなのか。また誤りがあったとしても、実際の仕事ではクライアントにいちいちそういうことは言わないのだから、自分で処理するべき」というものだったので、驚いた。

文法的な誤りについては、私は英国人の優秀な友人にもメールで確認していたので、確かにそれは誤りだった。しかしもっと驚いたのは、原文に不備があってもクライアントには伝えない、という点だった。それで、翻訳者としてクライアントの役に立つことになるのだろうか、と。

例えば契約書なら、当事者企業のそれぞれまたはどちらかの法務部や弁護士がドラフトを作成する。ドラフトなので文法的なミスも発生するし、内容的にも問題が含まれたまま、相手方に送られたりもする。そのドラフトを翻訳者が訳している時に、条文のミスに気付いたら、それをクライアントに伝えてあげる方がいいにきまっているではないか。もちろん、そのミスの指摘について料金は発生しないから、その作業についてはサービスである。
しかし、気付いている原文の不備・ミスを、気付かないフリをして翻訳するのはこちらとしても気持ちが悪いし、冒頭の例のように、事実関係が変わってしまうほどの誤りなのに、間違った原文どおりに訳出しても、その訳文はクライアントの役に立つものではない上に、そんな事実関係のおかしさに気づかないとなれば、翻訳者としての質さえ問われるかもしれない。

その通信教育を受けていた頃は、びっくりしたものの「そういうものなのか」と思ったりもしたが、あれから10年ほど経って、やはりどう考えても、クライアントの役に立つ情報なら提供するのがサービスだと、確信するのである。

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記事を書いた人

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日本・米国にて商社勤務後、英国滞在中に翻訳者としての活動を開始。現在は、在宅翻訳者として多忙な日々を送る傍ら、出版翻訳コンテスト選定業務も手がけている。子育てにも奮闘中!

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