INTERPRETATION

第44回 叱るのは難しい

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

最近は「褒める」ことが重視されています。子育ても教育も社内の人材育成も同様です。数年前に私が参加したスキー教室では「昔は厳しく指導していたが、今はそれでははやらない」とインストラクターが述べていました。子どもたちの授業参観でも先生方が児童たちのやる気を伸ばすべく、タイミングよくポイントをおさえた褒め方を実践なさっています。

私は現在子育て中であり、また、通訳者の後進を育てる立場にあります。子どもたちに生き方を伝授したり、学生たちに勉強の仕方を教えたりすることはできます。けれども実践するのはあくまでも本人たちです。教える側にいる私が代わりに行動することはできません。ゆえに、いかに当事者がモチベーションを抱いて実行していくかは大きな課題です。

とは言うものの、「褒める」という作業はタイミングやコツ、褒め方のポイントさえつかめればそれほど難しいことではありません。書店へ行けば「褒めて伸ばす」系の本が子育てコーナーやビジネス書の棚にたくさん並んでいます。そうした書籍を通読して、できることから実践してみれば「褒め上手」になれるでしょう。

むしろ難しいのは「叱り方」です。こちらも叱るポイントやタイミングなどがカギを握ります。私の場合、我が子たちを前につい感情的になってしまい、あとで猛省ということもよくあるのです。育児書には「過去の出来事を持ち出して叱らない」「3分以内に収める」「場所を変えて叱る」など、役に立つヒントがたくさん書かれています。言わんとしていることはわかります。けれども血のつながった我が子に注意をするとなると、ついこちらも「肉親ゆえの甘え」が出てしまうのです。まだまだ私自身、子どもの叱り方は発展途上です。

一方、対外的すなわち家族以外を叱るのはどうでしょうか?実はこれが一番難しいのかもしれません。血がつながっていない相手である以上、自分が感情的になるのは憚られます。相手にどう思われるかも気になります。けれども注意すべき時にきちんと注意しないと、結局はこちらが苦労することになるのです。たとえば教室で指示に従わない受講者への注意など、きちんと言うべきことは伝えなければなりません。特にまだ年齢層が低い相手であれば、社会のルールをしっかりと伝授していくのも年長者や指導者の責任です。そこをうやむやにすることは責任を放棄していることにもなります。しこりを残さず、本人の行動改善につながるような叱り方や注意の仕方をいかに効果的にやるか。こちらも私自身の課題です。

とは言うものの、こと子育てに関しては最近ちょっとした工夫をするようになりました。それは「ユーモアのある叱り方」です。たとえば先日のこと。息子が社会科見学用に買ってきたおやつの袋を床に置いたままにしていました。我が家では「物を床に置きっぱなしにしない」というルールがあります。この約束を守らせるのがなかなか至難の業で、今回おやつが投げ出されていたのを見たときも「やれやれ、またか~」と内心思ってしまいました。

以前の私であれば、「ほらほら、おやつの袋が床に置いたままになっているよ。床の上に置いちゃダメだって前から言っているでしょ!」と注意していました。こちらの虫の居所が悪い時など(私も人間ですので、そういうことはあるのです・・・)「この間も○○を出しっぱなしにして叱られたばかりでしょ!」「いつも同じことで注意されて~!」とエスカレートすることもありました。

けれども最終目標は「本人の行動パターンを変えること」です。私が怒りをぶつけて本人がその場しのぎで片づけても、解決自体にはなりません。あくまでも「将来的に床に物を置かないようにしていくこと」が大事なのです。

そこで登場するのが「ユーモア」でした。しかも「できるだけインパクトのある強烈なユーモアで笑わせ、行動を変えさせる」ということを目指すようにしています。たとえば先のおやつの例であれば、「おやつが床に出たままになっている!このクッキー、お母さんが誤って全体重をかけて踏んづけたら粉々になっちゃうよ。あ、でもクッキーがかけらだらけになったら社会科見学で学年中のお友達に配れるねえ」という具合です。これを聞いた息子は「やだー、ひどいよお母さん!」と言いつつ大ウケしています。そこですかさず「じゃ、今すぐ机の上に置き直してね」と伝え、本人に行動してもらうのです。

実はこのような叱り方を始めてから子どもたちが素直に言うことを聞くようになりました。一方の私は「いかにユーモアを導入するか」で非常に頭を使います。ものすごく言語的・思考的な訓練になっているのです。「笑いを取り入れる方法を考えるのって脳ミソの筋トレみたいだなあ」と思いながら、今日も叱り方の工夫をしています。

(2011年10月24日)

【今週の一冊】

「人生で大切なことは、すべて『書店』で買える。」千田琢哉著、日本実業出版社、2011年

一気に読了。副題は「20代で身につけたい本の読み方80」。

著者は大学入学までロクに本を読んだことがなく、愛読書はマンガだったという。ところがたまたま地元仙台で入った書店で偶然手にした一冊が彼の人生を変えた。以来、ひたすら本を買うようになる。

このようなタイプの著者というのは最近多いのかもしれない。たとえば「高校時代まで英語の成績は最下位。ところが○○年間でTOEIC満点に!」というたぐいだ。そうした本に共通しているのは、いずれも一極からもう一極へのとてつもない飛躍である。その著者だからこそできたというのももちろんあると思う。けれども同時に言えるのは、中途半端にしてこなかったからこそ、飛躍できたのだ。先の「英語の成績ビリ」であるならば、「中学時代の教科書を徹底復習」「基礎文法から取り組む」など、本文を読んでみると基礎固めが行われているのが分かる。

本書もそれに近いというのが第一の読後感。今までまともな本を読んだことがなかった著者は、だからこそ色々と買いあさり、ひたすら読み進め、自分なりの読書スタイルを築いたのである。そして編み出されたヒントが本書には80の項目として紹介されていた。

中でも強烈だったのは、「本を借りて読む人は自分も一生使われて終わる」というくだり。最近の私はついついもったいない感が先立ち、図書館で借りることが多かった。ところがなぜか記憶に残らない。しかも返却期限があっという間に来てしまってあわただしい。なぜか図書館本は表紙のオビが取り除かれており、装丁面でも個人的に違和感を覚える。そんなことを感じていた矢先だったので、この一文は目からうろこだったのだ。やはり本は身銭を切って買う。自分の血肉にする。読んでいてつまらなかったら潔く止めて、より楽しめる本との出会いにエネルギーを傾ける。そうした大切さを著者から学んだ。

本書を読むと、とにかく早く書店へ足を運びたくなる。大型書店でなくてもいい。駅前の小さな本屋さんで良いから、今日はぜひ行こう。そんなエネルギーが湧いてくる一冊だ。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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