INTERPRETATION

第463回 教え子の心に教員ができること

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先日のこと。朝、子どもを駅まで車で送りに行きました。車中の話は、学校で起きたちょっとした出来事。お友達との間でどうやら何かあったようです。

大人になるにつけ、人とどう関わるかは経験値で対応できるようになりますよね。でも、それを学ぶのが学校における集団生活なのだと思います。貴重な経験です。私自身、子ども時代には「仲良しグループ」との関わり方や、イギリスで過ごした小中学校では「人種的な違いによる誤解」などに悩んだことがあります。一方、高校の部活では副部長としてどう部内を運営するか、部長と共に頭を使ったこともありましたね。そのような体験が、すべて血肉になってきたと思っています。

さて、ハンドルを握るうちに、駅が見えてきました。ラジオのAFNからは、珍しくビートルズの曲が流れています。”Eleanor Rigby”でした。ビートルズは子どもの頃、ずいぶん聴いていましたっけ。中2で帰国後、私は転入した地元公立中学に馴染めず、わずか5日で通学拒否しました。そして翌週からは電車とバスを乗り継いで1時間以上かかる公立中学に越境入学させていただいたのです。そこでは授業内部活動があり、私は「ビートルズ研究会」に入りました。ビートルズの曲を聴いて皆で楽しむという、実質的には茶話会(お茶は出ませんでしたが)でしたね。

「エリナー・リグビー」を聴きながら、そんな子ども時代を思い出していました。一方、後部座席からは相変わらず我が子の「ご不満(?)」が聞こえてきます。そうしているうちに駅のロータリーに着きました。

駅の入り口には見慣れた色のジャージ姿の中学生集団がいました。我が子が中学時代に着ていた学年カラーのジャージでした。
「懐かしいねえ」と私が言うと、降りようとした我が子が、
「あっ!!!○○先生だ!!!!懐かしい~~~~~~」
と歓喜の声をあげます。先生はどうやら部活動の遠征で引率されるため、そこにいらしたのでしょう。

それまでブチブチ・モード全開だった我が子が、その先生のお姿を見かけるやニコニコ顔になりました。きっと中学時代に好きだった先生なのでしょう。ご機嫌で車を後にしていきました。

あのまま不機嫌な状態で通学したかもしれなかったのに、先生を見かけただけで、気持ちが上向きになれた。
母親として本当にありがたく思いました。

教員というのは、授業科目を教えること「だけ」が仕事ではないのでしょうね。こうして卒業して何年かたっても、教え子の心に光をともしてくれる。
そんな教師になりたいな、と思いました。

ちなみに帰り際、車中で聴いた「エリナー・リグビー」の歌詞は、

All the lonely people
Where do they all come from?
All the lonely people
Where do they all belong?

というサビの部分でした。

人間関係で悩んだり、孤独感を抱いたりしても、間接的に、どこかで誰かが人の心を助けてくれるのだなと思いながら、家路につきました。

(2020年10月13日)

【今週の一冊】

「いつだって自分さがし―オーストラリア子連れ留学記」成瀬まゆみ著、WAVE出版、1997年

著者の成瀬氏は現在、翻訳家としてたくさんの本を出しておられます。ポジティブ心理学を研究されており、講演会も多くなさっているようです。

そんな著者は、大学卒業後、普通に就職・結婚・出産をして、穏やかな日々を送っておられました。けれども心の中では、このままで良いのだろうかという思いが募っていきます。そしてとうとう留学を決意されたのです。しかも単身ではなく、ご主人を日本に置いて、3歳と5歳のお子さんたちを連れての「子連れ留学」でした。まだ90年代のことです。

入国直後はホームステイ先に迎えられるも、小さな文化的差異が積み重なるにつれて著者は焦り始めます。大学院生活も始まる中、今度はアパート探し。適切な物件が見つかるまでの経験も、オーストラリアならではのものでした。個をとるか、集団を重視するか。これは私自身、オランダやイギリスの生活で感じたことでもあります。一人一人を尊重してくれる文化はとても成熟して見えますが、その一方で自分を守るのも自分だけ。集団主義に存在する「情け」は日本と比べれば少なくなります。そうした沢山の経験を経て、成瀬氏は無事、大学院を修了されたのでした。

本書は著者の奮闘ぶりを始め、異文化に関する考え、また失敗談から得たことなど、ありのままが綴られています。留学体験というと、つい成功談だけがフォーカスされがちですよね。でも本書は文字通り「笑いと涙」がすべて盛り込まれた一冊になっています。成瀬氏のお人柄がにじみ出ていました。

留学を考えている方、異文化論を学びたい方、自立して生きていきたいと思うみなさんにぜひ読んでいただきたい一冊です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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