INTERPRETATION

第110回 原点に立ち返る

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

みなさんにとっての「恩師」とはどのような方でしょうか?子どものころや学生時代、あるいは社会人になってからなど、私たちにとって学びの場は多く存在します。これまでの自分を振り返ってみると、児童・生徒として学校で勉強していたころは、相性の良い先生と今一つの先生が交互に訪れる、そんな年月を過ごしていました。一方、大学生になれば自分で授業を選択できますし、関心分野に基づいて開講科目から選べるので、自由も出てきます。

私は人生の節目節目で良き師匠に巡り合うことができました。これは本当にありがたいことです。たとえば幼少期、イギリスにいたころは英語が全く分からず、心ならず差別も受けるなど子どもなりにハードな時期がありました。そのような中、5年生時の担任の先生は、厳しいながらも異国の地の学校でたくましくなれるようにと見守ってくださいました。先生とは今でも連絡を取り合っています。

一方、中学2年生時に帰国した際の担任の先生は、叱るべきときに叱った下さる先生でした。今でも忘れられないのは、私が保健室で手当てを受けたため授業に遅れたときのことです。後ろの扉からソーッと入り、自分の席に着こうとした途端、黒板を向いていた先生は突然振りかえられ、「理由を言いなさい」と険しい表情でおっしゃったのです。あまりの怖さに震えあがりました。でもそのときに気付いたこと。それは、「遅刻は許されない」という点でした。やむを得ず遅れるならば、きちんと理由を言うという、当たり前のマナーを教えていただいたのです。

社会人になってからは習い事で素晴らしい先生方に教わる機会がありました。その世界では著名でいらっしゃるのに決してひけらかさず、それどころか私たち受講生から謙虚に学ぼうとする姿勢は本当に美しいものです。人間いくつになっても学びへの素直な心を持ち続けるのは大事なのですよね。

先日、ある先生と再会することができました。以前地元のスポーツクラブでお世話になっていたインストラクターさんで、今は別の支店にお勤めです。たまたま私は仕事で近くまで行く機会があったので、レッスンに参加してみたのです。短いレッスンでしたが、私にとっては実に有意義な時間でした。と言うのも、次の3点を改めて感じることができたからです。

1つ目は、「学びの原点に立ち返ることができた」という点です。そのインストラクターさんにかつて教わっていたころの私はスポーツクラブに入り立てで、右も左も分からない状態でした。クラブまで出かけて準備をしてレッスンを受けること自体が慣れない作業であった分、非常にハードルが高かったのです。今回久しぶりにそのインストラクターさんのレッスンを受けたことで、自分が学び始めた当初、どのような気持ちであったか改めて振り返ることができました。

2点目は、「がんばるエネルギーを頂く」ということです。過日私は自分のセミナーで「スランプに陥った際、どうすればよいか」という質問を受けました。そこで私は「元気を頂ける人からエネルギーを分けていただく」とお答えしたのです。自分にとって元気が出る人というのは、本当にありがたい存在です。今回レッスンを参加したことにより、インストラクターさんの元気はもちろんのこと、周囲で一緒に受けたメンバーさんたちからも、エネルギーを頂けました。

最後に挙げられるのは、「指導者としてのあるべき姿」です。実は私は人の名前や物事をずっと覚えているのが苦手です。仕事でも長期記憶を必要とする逐次通訳より、すぐに訳語を出し切れる同時通訳の方が性に合っているように思います。スポーツクラブを始め、お世話になっている美容師さんや鍼灸院の先生などは非常に記憶力が素晴らしく、私の名前はもちろんのこと、私との会話をよく覚えていらっしゃるのです。私自身、教壇に立つという職業柄、もっとしっかりと様々な事項を記憶していきたいと思います。

師匠の先生方から多くの気付きを頂き、原典に立ち返ること。それをこれからも大切にしながら前を向いて歩み続けたいと感じています。

(2013年3月25日)

【今週の一冊】

「賢人の仕事術」酒巻久、小宮一慶、生島ヒロシ、佐々木かをり、渡邉美樹著、幻冬舎、2013年

ここ数年、幻冬舎は「賢人の~」と題するシリーズを相次いで刊行している。今回ご紹介するのは、著者5名が説く仕事術。メーカー、コンサルタント、実業家など、各業務は多岐にわたるが、それぞれの仕事に対するノウハウやヒントがぎっしり詰まっている。

中でも通訳者として参考になったのは、小宮氏が唱える「意識すべき数字」。新聞を読む際にも、人口やGDP、国家予算などは常識として知っておくべきだと言う。いきなりあらゆる統計を把握するのは困難なので、たとえば高齢者人口を知りたいならば、敬老の日の新聞記事に注目するなど、日常的にコツコツとそうした数字は集められることがわかる。

一方、ワタミグループ創業者・渡邉氏の「ほめ方・叱り方」も興味深かった。渡邉氏によれば、「叱られたい人には叱り、ほめられたい人はほめる」とある。今の時代、誰に対しても「ほめて育てて」系のメソッドが好まれているが、厳しくすることで発奮するタイプもいるのである。そうした人たちにヤル気を持ってもらうためにも、「叱る」という行為を頭ごなしに否定してはならないと感じた。

佐々木かをり社長による手帳術も大いに参考になる。効率的に仕事を進めたい人にお勧めの一冊だ。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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