INTERPRETATION

第122回 スクール選びの基準

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

そろそろ夏休みの計画を考える時期になりました。海外へ旅行する方、国内を巡ろうと思っている方、あるいはせっかくの休みなので英語力をアップしようとお考えの方もいらっしゃることでしょう。

みなさんは学校を選ぶ際、どのような基準がおありでしょうか?「家から近い」「会社からの帰路途中に立ち寄れる」「費用がお手頃」「フリータイム制」など色々あると思います。学ぶ者にとっての価値観が反映される部分です。

私は会社員になりたてのころ、あるスポーツクラブに入会しました。ポイントは家から一番近く、仕事からの帰り道に途中下車できることでした。毎日様々なスタジオレッスンが実施されており、自由に参加できるタイプです。費用もお手頃でしたので迷わず入会しました。

最初のうちこそ熱心に通ったのですが、そのうち足が遠のいてしまいました。その理由は以下の3点です。

1.いつでも行けるので「ま、今日でなくてもいいか」と思ったこと。

2.朝、会社までウェアを持参し、帰路に電車を降りようと思いつつも、鞄の重さと疲労で降りることなく直帰してしまったこと。

3.通い続けるモチベーションがなくなったこと。

特に「2」の「やっぱり家に帰る」という気持ちはなかなか克服できませんでした。結局「途中下車」というのは私にとって挫折しやすいことが分かり、以来、選ぶ際には「家か職場のどちらかの近く」に決めました。

一方、「1」と「3」は自分の気持ちの部分にかかっています。「いつでも行ける」という前向きな思いと「でも月謝を払っていてこれしか行かないとは」という後悔の念は入り混じります。必要なのは「自分を教室に引き寄せてくれる強烈な動機づけ」なのだと気づきました。

その後、スポーツクラブや通訳学校など色々と通い続けた結果、ようやく私なりの基準が導き出されました。それは「講師の存在」です。具体的には「あっという間にレッスンが終わるぐらい楽しい授業を進めてくれる先生」です。

授業が魅力的で楽しければ、レッスンはあっという間に終了します。受講側も無我夢中でついていきますので、非常に充実感を抱くことができます。講師に魅了されるということは、その先生のお人柄が自分を引きつけてくれているのです。どれほど遠いスクールであっても、どんなに高額の授業料であっても、その指導者に接するだけで自分が元気になれるならば、それは学ぶ側にとって大いに価値があるのです。

人間には相性というものがありますので、誰かにとって最高の講師でも、別の学習者にはしっくり来ないかもしれません。でもそれで良いのです。大事なのは学ぶ側自身がその指導者を信じ、ついていき、自分の学習がそこから進展していくことなのです。

素晴らしい指導者に出会える確率は、そう頻繁にないかもしれません。けれども、もし幸いにしてそうした巡り合いがあったならば、ぜひその先生を信じて学び続けてください。きっと前に進めると思います。

(2013年7月1日)

【今週の一冊】

「挑戦するピアニスト 独学の流儀」金子一朗著、春秋社、2009年

以前このコーナーでピアノ関連の書籍を紹介したことがある。そこに掲載されていたのが今回の著者、金子一朗氏である。金子氏は都内の私立校で数学を教える現役教師。忙しい仕事の合間を縫ってピアノを演奏し、数々のコンクールで受賞している。本書には、業務の傍らいかにして練習を続けてきたか、どのような工夫を施してきたか、また、けがや挫折をどう克服したかが記されている。

音楽的な理論の説明などにもページを割いているのだが、中でも私が感銘を受けたのは、ご本人が苦労の末に編み出した多様な工夫である。本文を読みながら「ピアノ」という単語を「英語」に置き換えれば十分私たち英語学習者にも参考になる。いくつかご紹介したい。

「もっとも良い練習は、録音することである。やったことのない人は是非試してみて欲しい。恐らく、ほとんどの場合、耳を覆いたくなるようなひどい演奏である場合が多い。」

これは通訳者を目指す際、自分のパフォーマンスを必ず聞き直すことと同じである。

「練習のときほど冷静に弾けない理由を考え、数回練習して弾けないのなら、練習を中断して弾けない理由を考えるべきである。」

たとえば何度練習しても通訳できない場合、いったん通訳をやめて理由を考える必要がある。語彙不足、基礎文法の欠如、内容理解が甘いなど、自分なりに冷静に分析しなければならない。

「作曲者について知ることも、楽譜を忠実に演奏するためには欠かせない知識である。その作曲者が、どの国のどういう民族で、どういう時代を過ごし、どういう価値観を持っていたかを知ることはとても大切である。」

通訳の場合、言語変換能力だけで訳そうと思えばできるであろう。しかし、内容自体を知らなければ真の通訳とは言えないと個人的には考える。同様に話者の著作をあらかじめ読む、専門分野について知っておく、出身国について調べておくなど、そうしたことはすべてアウトプットに結びつく。

芸術も言語も無限の世界だと思う。ピアノという分野から通訳のヒントを得ることができ、非常に学ぶことが多かった。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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