INTERPRETATION

第536回 サービスが届く時期

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

「通訳者は頭脳労働者」とよく言われ、私もデビュー当初はそう思っていました。しかし、この考えは年月を経るごとに変わっていきました。

今、私が通訳者として一番意識していること。それは「サービス提供者」という観点です。かつてスクールに通っていたときは「自分がどれだけ訳語を拾えたか」が評価基準のすべてでした。でも、それだと「お客様視点」が抜け落ちてしまうのですよね。自分のアウトプット率よりも、サービスの受け手であるお客様がどれだけ満足していただけるかが一番大切と意識するようになったのです。

「サービス」という概念。これは何もホスピタリティ分野に限ったことではありません。世の中のすべての仕事が、相手にサービスを提供します。独りよがりやマニュアル絶対視のサービスでは、あまりにも無味乾燥になります。生身の人間が業務を行うからこそ、相手の希望に沿うサービスを実施する。それが感動をもたらし、リピーターを生み出します。

では、サービスというのは目の前の「今」に限ったことでしょうか?私にとっての「サービス提供の最長期間」は「10年」でした。一見、意味不明ですよね?具体的にお話ししましょう。

今から10年前のこと。私は歩数計をつけて生活していました。一日1万歩という目標を掲げていたのです。通勤の際にも最寄り駅ではなく、あえて1駅先まで歩いていました。

その隣駅の近くに小ぢんまりしたスーパーがありました。朝早く前を通りがかると、スタッフの方々が市場からとってきた野菜の積み下ろしをしています。その作業をしながら、従業員の方が道行く通勤客に「おはようございます!」と挨拶していたのです。笑顔ではきはきとした声でした。歩いている人たちは朝の通勤で急いでいる人が多かったのですが、私はその挨拶があまりにも素敵だったので、思わずお返事したほどでした。

その後も何度か同じような状況に遭遇しましたが、いつも気持ち良い挨拶でした。「これほど感じが良いのなら、いつかこのお店で買いたいな」とは思ったのですが、いかんせん、仕事からの帰り道は疲れており、この駅で下りることはありませんでした。このお店とは結局ご縁のないまま、年月だけが経過したのです。

そして昨年。私は偶然にもこの駅近くに引っ越してきました。ただ、日常の買い物は車で行きやすい別のスーパーをもっぱら使っており、このお店で買う機会はありませんでした。

けれども先日のこと。ずっと気になっていたため、このお店をようやく訪ねました。品ぞろえは想像以上。レジの方もフレンドリーで固定客と楽しそうに会話をしているあたり、地元に愛されていることがわかりました。その雰囲気に魅了され、私はそこで買うようになったのです。

きっかけは、10年前のあの挨拶でした。当時、あのスタッフさん(実は店長さんでした)は、私がこのお店の潜在的固定客になることなど特に考えず、ご自身の理念として挨拶をされていたのでしょう。でも、あの体験があったからこそ、私はこのお店のファンになったのです。

お客様というのは「今、すぐに顧客になる」とは限りません。サービスが届く時期は長期スパンでもあるのです。

その大切な気付きを頂けたと思っています。

(2022年4月19日)

【今週の一冊】

「’90s~2010s サンリオのデザイン」グラフィック社編集部編、グラフィック社、2020年

今や世界の誰もが知っているサンリオのキャラクター。90年代から2010年代までに登場した愛くるしいキャラクターたちが本書には紹介されています。私にとってのサンリオといえばキティちゃんやツインスターですが、これほどたくさんのキャラクターがいたことに改めて驚きました。

オールカラーのページをめくると、様々なグッズや懐かしのデザインもたくさん。中でも魅了されるのは、各キャラクターのプロフィールです。たとえばポチャッコの体重は「おばけ人参3個分」とあり、シュガーバニーズの趣味は「クッキー型を集めること」だそうです。デザイナーさんたちは絵柄を考えるだけでなく、それぞれのキャラクターの住む世界まで幅広く熟慮の上、キャラクターを生み出しておられるのですね。

本書にはほかにも90年代以降の「いちご新聞」の表紙が並んでいます。また、ピューロランド開業秘話など、サンリオ好きにはたまらない内容です。一方、個人的にビックリだったのは、181ページに出ていた「サンリオキャラクター大賞」の写真。なんとサンリオ・キャラたちのお隣にスヌーピーとフェリックスが出ているのです。確かキャラクタービジネスの場合、異なる企業のキャラクターの掲載方法には細かい規定があったはず。それだけに、スヌーピー&サンリオ・キャラ同席というのはうれしいサプライズでした。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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