INTERPRETATION

第562回 頑張りの源はどこ?

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

最近の私にとってのビッグニュースは何と言っても「自動通訳機」。CMでおなじみの某メーカーがいよいよ同時通訳機を販売するとの記事を読みました。AIを駆使した自動「翻訳」はすっかりおなじみですが、音声で通訳をしてくれる自動通訳機は、かつて夢また夢と言われていたのですよね。ドラえもんの「ほんやくコンニャク」がまさにリアルになったことを意味します。

メーカーのサイトを覗いてみましたが、いやはや素晴らしいの何の!テレビCMではよくフリーズドライのお味噌汁を料亭の達人が味見して、感嘆する光景が映し出されますが、まさにそのような感じ。完全に脱帽です。でも、マッサージチェアや美顔ローラーがどれほど高性能になっても、やはり「人」にリアルに施術してもらいたいというのが人間のココロ。よって、私の職業ももう少しは持ちこたえてくれるだろうなと想像しています。そのためには、お客様に喜んでいただける通訳者を目指して頑張ります。

さて、今回のテーマはこの「頑張る」というキーワード。通訳業に限らず、何か目標に向かってひたむきに猛進してきた人たちにとり、自分のヤリタイコトが実現できる人生は本当に幸せです。私自身、紆余曲折を経て通訳の仕事にかかわるようになりましたが、その間には多くの失敗や遠回り、猛省などがありました。それでも今に至るまで継続しているのは、ひとえにこの仕事をこよなく愛しているからです。

ただ私の場合、もう一つ理由があります。それは、このコラムでも何度か書いてきた「親子関係」です(第515回553回)。人生の折り返し地点を過ぎた今なお、このトピックが私の中では大きいものであり続けています。

通訳者を目指したのも私の場合、最初から夢見たからではありません。物心ついたころから家庭の中が苦しく、そこから目を背けて現実を忘れるために私は何かを必要としていました。それが「勉強」でした。周囲の気配を忘れてひたすら学ぶこと。それは学校に在籍している間は「テストの結果」となり反映されました。集中して勉強する、学習時間を増やす。これはそのまま成績という形で功を奏するのです。私にとっては最大の現実逃避であり救いでもありました。

世の中には夢を描いて邁進する人がおられます。本コラムをお読みの方もそうかもしれません。でも、その陰には、苦しい家庭環境ゆえに頑張るしか自己の存在理由を証明できないケースもあることでしょう。世間体には「良い子」を演じ続ける。しんどい親子関係の改善を願い、親からの無償の愛を切望する。けれども叶わずに落胆する。そのループにはまるケースもあるのです。

頑張ることは尊い事です。自分の努力の結果、社会のお役に立てるのであれば、そのひたむきさは報われたことになります。しかし、心の中の空虚さ、条件付きの愛しか知らずに育った場合、自分の存在が報われない悲しさ。それは本人を苦しめ続けます。

私は悩みに悩んだ結果、自らの置かれた親子状況を書くことを決めました。「毒親」の負の連鎖を断ち切るためには、これしか手段がなかったのです。そのような思いを込めて、過日、日経新聞の「私見卓見」にも取り上げていただきました。何世代も続きかねない負のバトンリレーを食い止めるためにも、自らの「頑張り」がどこから来ているのかを考え、根本原因に向き合い、一人でも多くの方が辛い状況から希望を見出せることを願っています。

(2022年11月1日)

【今週の一冊】

「イチロー流 準備の極意」児玉光雄著、青春新書、2016年

数々の記録を打ち立ててきたイチロー選手。私が子どもの頃、「日本人は体力的にも精神的にもアメリカの大リーグでプレーなどできない」と言われていた。しかし、今やイチローはじめ、数々の素晴らしい選手たちが現地の野球界に貢献している。時代は大いに進化した。

本書にはイチロー選手の名言が見開き1ページで紹介されており、そこに児玉光雄氏の解説が加えられている。児玉氏はスポーツ心理の専門家。イチロー選手の発言はスポーツのみならず、私たちの日常生活にも大いに活用できると私は感じた。

中でも印象的だったのが、辛い時こそ「自分に重荷を課す」(p98)という一文。つい逃げたくなるようなときであっても、あえて立ち向かう大切さがにじみ出ている。一方、児玉氏の解説でなるほどと思ったのが、自信のつけ方5か条。シンプルだけどすぐに実践できそうなのが以下の5つである;

(1)大きな声で話す、(2)大きな文字を書く、(3)背筋を伸ばす、(4)早起き、(5)毎日を楽しく。

私にとって新鮮だったのが「大きな文字を書く」。確かに、堂々と大きな文字を書くと、それだけでも気分がのびやかになりそう。早速実践してみたい。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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