INTERPRETATION

第595回 学びのガソリン

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

私は10年ほど前から大学で通訳の授業を担当しています。今学期は期末試験の代わりとして課題を実施しました。それは「ニュースの吹き替え原稿を作成し、皆の前で披露する」というもの。いわゆる「時差通訳」です。

評価する上で私が重視するのは、
1.全訳でなくても良い
2.お客様にとって聞きやすい日本語にする
3.レポーターや話者になりきり、声の抑揚をつける
の3点です。

この3つを重視するのには理由があります。1つ目の「全訳でなくて可」については、今から20年ほど前、東京のCNNでオーディションを受けた際のこと。当時の担当者に言われた言葉がきっかけでした。テレビは年齢層を問わず不特定多数が視聴します。通常の会議通訳のように「何も足さず何も引かず」で訳すと、あまりにも早口になり、聞きづらくなってしまう。よって、「6割ぐらいの訳出量で」と言われたのでした。

2つ目の「聞きやすい日本語」も同様の理由です。耳から聞く日本語訳とテレビの映像がマッチし、内容をしっかりと解釈できることが理解につながります。活舌の良さはもちろん、抑揚や間(ま)の取り方も大事になってきますよね。

最後の「なりきり」の部分。これは私がBBCで放送通訳デビューをして以来、ずっと大切にしてきていることです。ニュースは、戦場や被災地など、命の極限にある人々を映し出すこともあります。それを取材し映像に残し、ナレーションをつける記者たちも命がけです。場合によっては、衝撃的な光景を記者たちも目にするでしょう。最近はジャーナリストのPTSDも問題になっています。そうした中、わずか2分ほどのニュースに凝縮するという記者たちの苦労を考えると、中途半端な気持ちで通訳することはできないと私は痛感するのです。ゆえに、記者や登場人物になりきることも求められる、というのが私の考えです。

さて、今回の大学での時差通訳。まずは授業内の20分を準備時間として設けました。これは吹き替え原稿を作る際、「オリジナル音声X10倍=準備時間」という業界ルールを学生たちに体感してもらうためでした。映像・トランスクリプト・和訳はすでに学生たちに提供してありますので、あとはいかに「聞いてわかりやすい時差通訳原稿を作るか」がポイントです。

20分経過後、読み合わせをしてもらいました。その後、私自身が時差通訳を披露し、参考にしてもらいました。訳出量、訳文の工夫、声の出し方などを学生たちに伝え、次週の発表までに仕上げて練習してくることを課題としたのです。

翌授業日。

一人一人学生を指名し、マイクを持たせて全体の前での披露となりました。どの学生も日本語文を工夫し、読み方を丁寧にしたり、なりきったりするなど、120パーセントの力を発揮してくれました。

授業後の感想カードには「緊張したけど楽しかった」「久しぶりにマイクを握って手が震えた」「○○先輩の訳が素晴らしかった」など、たくさんの意見がありました。対面・全体授業ならではの相乗効果があったと感じます。

中でも次の意見が印象的でした:

「少し失敗したので、次のチャンスがあれば絶対にリベンジしたい!!」

そうなのですよね。くやしさというのは次への原動力になるのです。たとえ今回納得のいかない結果であったとしても、その気持ちを未来に向けての「学びのガソリン」にすれば良いのです。

学び合いの姿を見せる学生たちに、大いに私自身が刺激を受けた春学期。さあ、この夏休み、たっぷり充電して、秋学期も切磋琢磨できる授業を実施したいと思います!

(2023年7月25日)

【今週の一冊】

「あなたはいつだってOK!安らぎと自由をくれる115の言葉」ルイーズ・L・ヘイ著、住友進訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2020年

今回ご紹介するのはアファメーション、つまり自己肯定感を高めるヒントが満載の一冊です。著者のヘイ氏は1926年生まれのアメリカ人。貧しい家庭で虐待を受けて育ち、10代で出産するなどたくさんの苦労を経験しています。その後、病に見舞われるなど人生で多くの困難に直面するも、自己を肯定するという生き方を選びました。

今の時代、私たちはデジタル化の恩恵を受けて便利で効率的な生活を送ることができます。しかしその一方で、心が疲れたり、思いがけない感染症の世界的蔓延で気持ちの行き場を失ったりするなど、誰もが新しい経験をしています。自分の生き方はこれで良いのか、もっと改善できるのかなど、心が逡巡しているのです。

ついつい自己否定をしてしまう私たちに対して、ヘイ氏はエールを送ってくれます。たとえば、「あなたは愛される価値があり、美しく、才能にあふれています」(p61)、「わたしは愛情深く、陽気な人間で、とても好かれています」(p79)など、まずは自らを大切にする必要性を唱えます。

ところで生きていると、思いがけない形で辛い状況に引きずり込まれることがありますよね。心無いことを言われたり態度をとられたり、ということが。そのような言動をとる人は欲求不満を他人のせいにしてしまっているとヘイ氏は述べます。でも、そのような言動をとること自体が、「自分の力を放棄してしまうこと」(p94)であると警鐘を鳴らします。もし自分自身が、何かに対して「自分には非がない。相手が悪い」と思ってしまった場合、自分が成長できるチャンス、自らの底力を発揮できる機会を捨ててしまうことにもなるのです。

とても大切なことばを本書から与えられたと私は感じています。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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