INTERPRETATION

第171回 時短がベスト、か?

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

「時短メニュー」「時短学習法」

最近は書店に並ぶ本にこういったタイトルのものが目立つようになりました。グーグルで「時短」を検索すると300件以上もヒットします。忙しい私たちにとっていかに時間を節約し、生産性を上げるかは大きな課題です。

でも、と私は考えてしまいます。

そのきっかけは佐藤初女先生の本を読んだことによるものでした。初女先生は青森・岩木山の麓で「森のイスキア」という施設を経営なさっています。ここには心に悩みを抱えた人たちがやってきます。そして初女先生の手料理をいただき、胸の内を明かして元気になっていくのです。初女先生のお料理はどれも心がこもっており、素朴な品々を食べた方たちは、食を通じて生きる力を取り戻していくのですね。

初女先生はたくさんの本を記していらっしゃいます。いずれも「食べること」や「いのち」がテーマなのですが、共通して述べていらっしゃることがあります。それは「今をていねいに生きる」ということと、「手間をかける」ことの大切さです。

たとえば何か一つ食事を作るにしても、旬のものを手に入れ、その材料をまずはじっくり眺めるところから始まります。同じ食材でも時期によって固さや味も異なりますので、ゆで時間や味付けなども異なってくるのですね。そのようにして食材といわば「対話」しながら先生は料理を作っていらっしゃいます。

目の前のことに真剣に取り組み、流れ仕事にしないということは、英語学習でも同じだと私は考えます。

今の時代は本当に便利になりましたよね。移動中でもスマートフォンのアプリで学習できますし、速読や速聴用の素材や単語力増強のための教材など実に豊富です。いつでもどこでも時間を節約しながら勉強ができるのです。英語の素材すら不足していた昔の人たちと比べれば、私たちは本当に恵まれています。

では現代人の英語力がかつての学習者と比べて飛躍的に伸びているのでしょうか?

私は必ずしもそうではないととらえています。環境に恵まれても、ノウハウが分かっていても、それが即結果に結びつくとは思えないのです。これはサッカー・ワールドカップの出場国を考えると納得できると思います。先進国が必ずしも強いとは限りません。恵まれた練習場やトレーナーなどのサポート体制がいくら整っていても、それが強さに結びつくとは限らないのです。逆に、たとえ開発途上国であっても、環境に恵まれなくても、一人一人の選手の底力があるところも存在します。

時短で何でもこなしていくということは一見効率的に見えます。たくさんのことを成し遂げたような感覚になります。けれども「質の伴う量」をこなすことと「質の伴わない量」では結果に大きな差が出てきてしまうのです。

時短ばかりを狙って目の前のことがおろそかになっていないか?

むしろ「質そのもの」を大切にする時期に差し掛かっていると私は考えています。

(2014年7月14日)

【今週の一冊】

「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」金谷武洋著、飛鳥新社、2014年

仕事が一段落すると、書店内を端から端までじっくり眺めるのが私にとっては至福のひとときだ。日ごろは一つの職場から別の仕事場へと直線移動ばかりしている分、最近は本屋さんにふらりと立ち寄るということができずじまいだった。ネットでももちろん本は買える。でも実際に書棚を眺めながら思いがけない出会いや「一目ぼれ購入」をしたいのである。

今週ご紹介する一冊は、そんな偶然の出会いで手に入れた書籍。このところ私の頭の中では「辞書」「ことば」というキーワードがずっと鳴り響いている。何かを読むときも、無意識にそんなことばたちを探し求めているのだ。今回、仕事帰りに出向いた書店でパッと目に入ったのもこの一冊である。

著者の金谷氏はカナダで長年日本語教育に携わっておられる。日本語を外国人に指導しながら、なぜ私たち日本人は英語を苦手に感じるのか、実にユニークな視点で綴っている。私は通訳指導の際、「省ける代名詞や主語は省いて訳すように」と教えているのだが、そういった代名詞の話や「誰の視点で話すか」といったトピックが本書には楽しく説明されている。

言語学を学ぼうと思うと、何となく難しい用語や学術文章が出てきそうで敬遠してしまうかもしれない。でもまずはこうしたエッセイから親近感を抱き、少しずつ専門書に進んでいくのが良いのではと思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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