INTERPRETATION

第219回 無意識の脚色

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

私が担当する通訳の授業では、まず一通り全員に教材を通しで訳出していただきます。そしてそのあとは一人一人のパフォーマンスにコメントをしていきます。私も通訳学校に通っていましたので経験があるのですが、やはり指名されて自分が訳出するというのは緊張しますよね。特に同じクラスにいるメンバーは英語ができますので、自分の誤訳もハッタリ訳もお見通しとなってしまいます。それだけに余計手に汗握る状態になるのです。

そのようなときというのは、往々にして沈黙が怖くなります。通訳の場合、聞こえてきた内容を瞬時に把握し、できる限りわかりやすく目的言語に訳さねばなりません。訳語に困ってしまったり、構文がちんぷんかんぷんだったりしても、とにかく何かを言わなければと焦ります。ほんの数秒の沈黙でも、当の本人には何十秒にも思えてしまうのです。ゆえについ「あー、えー」と不要音を入れてしまったり、長々とことばをつなげてしまったりという傾向も出てしまいます。

よくありがちなのが「無意識の脚色」です。たとえばオリジナルでThat seems interestingとあるとき、訳出では「それはとても面白そうですね」としてしまうのです。つまり、勝手に「とても(very)」と通訳で入れてしまうのです。これは英日でも日英でも起こるもので、「大変」「非常に」「まったく」やvery, extremelyなどの語を必要以上に挿入してしまうというものです。

なぜこのようになるのでしょうか?学術理論面ですでに研究されているのかもしれませんが、私個人の考えではやはり「沈黙防止の穴埋め」に思えます。通訳者が何か意図的に副詞を入れて内容に箔を付けたいと思っているわけではなく、無意識にこうしたことばが口から出ているように見受けられるのです。

全体的な内容に大きな影響を及ぼさないのであれば、そうした副詞が多少入ったとしてもさほど致命的にはなりません。しかし、話者ご本人がそうした程度副詞を入れる意図がないところで通訳者が入れてしまえば、それは「通訳」ではなく「創作」になってしまいます。私自身、放送通訳現場で同時通訳をする際、そうしたことばを必要以上に入れていないかどうか、改めて反省する次第です。

ところで無意識の脚色でふと思い出したことがあります。それは「みんな」ということばです。以前心理学の本で読んだのですが、「みんなが言っている」や「一般常識では」という表現は要注意だとありました。こうした表現というのは、その人が自分の自信のなさを隠すために用いるものであり、実は「みんな」というのは具体的に「全員」ではなく、「一般常識」もその人本人の一価値観に過ぎないことが多い、というのです。

なるほど、と私はその本を読んだとき思いました。よく子ども同士のけんかで「○○ちゃんは△△だってみんなが言ってるよ」となることがありますが、「じゃあ、『みんな』って誰なの?教えて」と言うと、相手は案外しどろもどろになってしまうのですね。

ちなみに社会心理学者の渋谷昌三氏は、そうした「みんな」ということばの使用者については「自分の意見をほかの誰かに責任転嫁する」人間と記しています。「みんなが言っている」や「一般常識では」を無意識に使っていることも、程度副詞を通訳者が無意識に挿入することも、「ことば」でコミュニケーションをとる以上、私たち一人一人が意識していくべき課題だと私は考えています。

(2015年7月13日)

【今週の一冊】

“Oxford Advanced Learner’s Dictionary New 8th Edition” A.S. Hornby著、Oxford University Press, 2010

電子辞書は今や私にとって手放せない。放送通訳現場ではもちろんのこと、指導先の通訳学校や大学など、パッと意味を調べる際に重宝する。私が通訳者デビューしたころは重い辞書をあれこれ持ち歩き、常に肩こりに悩まされ、数か月でビジネスバッグは壊れるという状況であった。小型の電子辞書一つさえあれば、百科事典や広辞苑、世界史事典まで使えるのだから隔世の感がある。

もっとも気を付けなければならないことはある。突然の電池切れだ。先日も指導先で試験を実施した際、「電池が切れた」「突然画面が映らなくなった」という悲鳴にも似た(?)訴えを何件か受けた。予備電池は常に持ち歩くことは通訳者にとって鉄則であるが、急な機械の故障だけはなす術もない。そうなると電子辞書というのは便利なようでいて、融通が利かないと言える。

今回ご紹介するのは学習者向けの英英辞典。オックスフォードのこの辞書は私の電子辞書に入っているのだが、どうしても紙版が欲しくなり、さんざん悩んだ挙句、ようやく購入した。「電子辞書に入っているのにまた紙辞書?どこに置くの?」というささやきが頭の中を占めているのだが、その「物理的スペース制限」というマイナス面を上回るだけの良さがやはり紙版にはあるのだ。

最大の購入ポイントは例文の豊富さと語義のわかりやすさ、そして数々のイラストである。たとえばbunを引くとパンの種類のほかに、女性のヘアスタイルとしての説明がある。巻末のヘアスタイル一覧が出ているページを開くと、女性・男性の様々な髪形が出ているのだ。「へえ、英語ではこう言うのか!」という発見は、英語の勉強というよりも知的好奇心を満たすことにつながる。

辞書は単語を調べるだけでない。こうして何となくめくるだけでも楽しめるのだ。せっかく買った分厚い英英辞書だからこそ、これからどんどん引いて知の喜びを味わいたいと思っている。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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