INTERPRETATION

第300回 自己添削で元気に

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先日のこと。心身ともにくたびれる事象に遭遇しました。今思い返せば大したことではなかったのですが、渦中にいると人間は正面からその打撃を受けやすいのですよね。私の場合、心も体もクタクタになったのでした。

いつもであれば時間の経過とともにリカバーできるのですが、今回は異なりました。数日たってもズルズル引きずっており、ネガティブ思考街道まっしぐらとなったのです。そしてとうとうドン底に到達したのでした。

私の場合、「ドン底」というのはこれまで何度か経験しています。覇気がなくなりヤル気も出ない。「何もかも嫌~!」という感じです。第一子出産後、私は産後鬱になって投薬治療をしたことがあります。それから数年後も色々と悩んでカウンセリングに通ったことがありました。その頃と同じようなドンヨリ感に襲われてしまったのです。これはまずいと思い、夫には事前に「ごめん、もしかしたら鬱の前触れかも」と伝えました。

幸い家事や子どもたちの面倒などを夫がいつも以上にサポートしてくれたおかげで、私はその日、早く床に就くことができました。そして翌朝目が覚めると何と10時!実に11時間も昏々と眠っていたのです。要はものすご~く疲れていたのですね。

体力はおかげで回復しました。あとは気力をどう引っ張り上げるかだけです。だいぶ気持ちも前向きになってはいました。けれども私の場合、あのような心境になってしまうと何かがきっかけでまた逆戻りということになりかねません。そこでその日は一人にさせてもらい、スポーツクラブへ直行。お気に入りのレッスンを受けて汗を流してスッキリし、友人たちと他愛もないおしゃべりをしてだいぶ復活しました。そしてそのあとはいつも仕事で使っているカフェへ直行したのです。

到着後、私はノートを取り出し、自分の思いをただただ書き連ねました。日頃のストレスや不満、何に対して疲れているのかなど今回のきっかけとなった出来事についても振り返ってみました。過去のことだけでなく現在や未来についての不安や葛藤なども綴っていきます。後で時計を見てみると、1時間ほどひたすら書き続けていました。

さあ、この後が本番です。赤ペンを取り出し、今書いた文章を「添削」していきました。高校時代に私はベネッセ(当時は福武書店)の「進研ゼミ」をとっており、「赤ペン先生」直筆の丸やコメントが大好きでした。あの要領で自分の文をひたすら見直すのです。ポイントは「ポジティブな反論」をただただ赤ペンで書き込んでいくというものです。

たとえば「食べ過ぎて体重が増えた。ストレスがたまるといつもこうだ!」という文に対しては「食べ過ぎて」の下に赤線を引き、ふきだしを付けて「でもスイーツは一つで我慢したじゃない?すごいよ!」と書き込みます。「いつもこうだ」の部分には、「大変よねえ。でもストレスにさらされるとこうなる人って結構いると思うよ」とコメントします。このような具合に自分の文章にツッコミや第三者的意見を書きこんでいくのです。

そして最後まで到達したら「総評」を記入します。この日私は「A+」と、まるで大学の定期テスト採点のごとくグレードまで付けました。さらに「今まで大変だったのですね。自分の思いをよく吐露できましたね。本当に頑張ったと思います」などなど、赤ペン先生がねぎらうがごとく、総合コメントを書き込んでいったのです。

ここまでやり終えてようやくスッキリしました。と同時に気力も復活してきました。最初に書き連ねた自分の不満や愚痴なども、読み返してみるとかなり偏っていたりこじつけだったりということに改めて気づかされたのですね。別の視点で自分をねぎらってみると、それまでウジウジ悩んでいた項目も「大したことでなかったのかも」と思えるようになったのです。これは私にとって大きな発見でした。

今後も悩んだときはとにかく書き出し、「自作自演(?)赤ペン先生」になりきりたいと思います。そうそう、次回への改善点もありました。「ノートは一行おきに使う」です。何分、今回はビッチリ書き込んでしまい、赤ペンのコメントを書ききれませんでしたので!

(2017年3月27日)

【今週の一冊】

「世界のお墓文化紀行:不思議な墓地・美しい霊園をめぐり、さまざまな民族の死生観をひも解く」 長江曜子著、誠文堂新光社、2016年

小学校2年生で父の転勤に伴い、我が家はオランダ・アムステルダムへ転居しました。オランダはヨーロッパ大陸の一部であり、高速道路は無料です。おかげで車を使ってヨーロッパのさまざまな場所を訪れることができました。

とある冬休みのこと。休暇で向かったのはドイツのモーゼル川地方でした。ワインで有名な地域です。このとき泊まったコブレンツの街はモーゼルがライン川に合流する場所で、昔から交通の要として知られています。宿泊したのは教会の隣にあるホテルでした。

長旅で疲れていたのですが、なぜか私はその晩、一睡もできなかったのです。理由は「教会の鐘が15分おきに鳴っていたこと」でした。うとうとしかけると鐘がなり、定時の00分になると少し長めのメロディが聞こえてきます。私は音楽が好きなのですが、そのときは真夜中でも教会から奏でられる旋律に不気味さを感じたのでした。以来、14歳で日本に帰国するまで、私にとって教会や鐘というのはおごそかでありながらも少々コワイ存在になってしまったのです。

しかし両親はヨーロッパの教会や遺跡などを好み、旅先もそうした場所ばかりを選んでいました。子ども心に苦手意識は結構長く残っていたことから、私同様の価値観の人はいないかと探したものです。そこで伯母に「日本のお墓と教会の十字架のお墓だったらどっちが良い?」と尋ねてみると、伯母は日本のお墓の方が好きとのこと。「やった!私と同じだ!」となぜか心の中でホッとしたのでした。

そのような昔の出来事をふと思い出したときに偶然出会ったのが、今回ご紹介する一冊です。本書は世界各地のお墓を撮影した写真集となっています。私が幼いころ抱いたニガテ意識を忘れさせるぐらい、お墓の文化を多様なアングルからとらえた美しい装丁です。写真だけでなく、宗教や風習、歴史などの説明も充実しています。

写真というのはことばよりも一瞬でインパクトを読み手に伝えることができます。たとえばアメリカでは棺をクレーンで運ぶこともあるそうです。墓地の中に黄色い重機自動車が存在する様子は何とも不思議な感じがします。一方、ガーナ北部のクサシ族は墓碑の代わりに土を盛り上げ「土饅頭」のようにしています。イタリアのヴェネチアには墓地だけの島・サンミケーレ島があります。これはナポレオンが発案したそうです。

死や墓などはついタブー視されがちですが、その背後にはそれぞれの文化や慣習があります。こうした角度からとらえるのも異文化コミュニケーションの一環なのでは、と私は感じています。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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