INTERPRETATION

第302回 同じで良いの?

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先日、ファッションデザイナー・山本寛斎さんの本を読みました。たまたま別のところでインタビューを読み、その個性あふれる生き方に共感したからです。私自身はさほどファッション業界に詳しいわけではないのですが、寛斎さんのお言葉ひとつひとつに励まされ、著作を探したのでした。

本の扉を開けると、明るい色彩の服に身を包んだ寛斎さんの全身写真が目に飛び込んできます。かなり華やか(いえ、正直に言えば派手!)な洋服です。けれどもその表情は生き生きとしており幸せそうです。それだけで強烈なオーラとエネルギーが放たれているのがわかります。

けれども本を読み進めるにつれて、幼少期に非常に苦労されたことがわかりました。ご両親が幼いころに離婚。お父様はその後も離婚・再婚を繰り返し、兄弟が離れ離れになったり、引っ越しや転校を繰り返したりという具合です。小さいころは引っ込み思案だったとも綴られていました。

それでもファッションへの情熱は強く、20代にしてファッションショーで大成功をおさめます。しかしそれで気を良くしてしまい慢心した挙句、パリのショーでは大失敗。業界から完全に干されてしまったのです。

しかしそこであきらめないのが寛斎さんの素晴らしいところです。鬱々とする中、借金取りに追い立てられ、一時は死のうとさえ思ったそうです。しかし、司馬遼太郎の小説を偶然読んで生きる勇気を再び得たとあります。新撰組の話に自らをなぞらえ、そこから再起をかけたのでした。

そんな寛斎さんが語る言葉には力強さがあります。生きるとは何か、どうすれば幸せになれるのかなどが本書のひとことひとことからにじみ出ています。中でも私が印象的に感じたのが、着る服が人に与える影響、そして、装いがいかに本人に幸せをもたらすかという話題でした。

寛斎さんは、「日本人はあまりにも他人の目を意識しすぎてしまう」と記します。そうした規律の良さは歴史的なものであり、世界的に見れば「秩序」として見られるでしょう。けれども本人はそれで本当に幸せなのだろうかという疑問を投げかけています。

確かに日本に暮らしていると、「皆と同じであること」による安心感は非常に大きいと思います。私自身、海外生活から帰国して成田空港に降り立った際、最初に感じたのは誰もが「きちんとした」身なりをしているという点でした。ボロボロの服やヨレヨレのものを身にまとう人はいません。清潔感があり、色彩も穏やか。日本人の国民性がそのまま表れているように感じました。

けれどもそれは一歩間違えると、他者と異なることを拒否する空気にもなってしまうのですよね。現にファッション雑誌を見ていると「悪目立ちしない」といった表現も見受けられます。「他の人と違うことをしてしまうと反感を招いてしまう。すると仲間外れになってしまう。それはコワイ。だから無難に行こう。」そんな考え方です。

これはファッションだけに限ったことではありません。食事会などで誰かがAというメニューを頼むと、何となく流れで「じゃ、私も同じで」となりがちです。英語学習も同じです。○○という勉強法がヒットすると誰もがそれに飛びついてしまう。ダイエットしかりです。

でも本当にそれで良いのでしょうか?一人一人に価値観や考え方が異なるように、本人が選ぶものもそれぞれ違って良いはずです。「みんな違ってみんないい」「世界に一つだけの花」といったフレーズが聞こえてくる割には、なぜか「違う」ということにアレルギー反応を示してしまう。そのような雰囲気を私は感じてしまうのです。

本当の幸せに向けて何をすべきか。実は心の底で本人は答えを持っていると私は思います。書店の自己啓発本コーナーには「愛され」や「好かれる」といった文言を含む書籍タイトルが並びますが、受身でいるよりも、自主的に「幸せ」を堂々と追究した方がよほど体には良いと私は思います。

もちろん、人間は弱い存在です。長いものにまかれた方がラクですし、私自身、つい流されてしまうことは頻繁にあります。だからこそ、「皆と同じで良いの?」「本当にそれで良いの?」と自問自答しながら誠実に生きていきたい。そのように最近強く思っているのです。

(2017年4月10日)

【今週の一冊】

「あきらめない – 働くあなたに贈る真実のメッセージ」 村木厚子著、日経BP、2011年

私は指導先のクラスで学期初めに必ずとあることを質問します。それは「紙新聞を読んでいますか?」です。自宅、図書館を問わず、「紙でできた新聞」に日頃触れているかを尋ねてみるのです。

講師の仕事を始めたころは、まだ紙新聞も健在でした。クラス内の大半が「読んでいます」と挙手していましたね。けれども年を追うごとに数は減り、最近では少数派です。自宅から通学する学生でも「親が購読をやめた」という人が増えているのです。世の中がデジタル化し、「いつでもどこでもスマートフォンで電子版が読める」という時代であればこそ、この流れは必然と言えます。

それでもなお私は紙新聞にこだわります。一面から最終面までパラパラとめくる間に思いがけない記事と出会えるからです。今回ご紹介する村木厚子さんの本を読むきっかけも、日経新聞に出ていたインタビュー記事でした。

村木さんは数年前に郵便不正事件で逮捕・起訴されたことがあります。裁判では無罪となりますが、拘置所での村木さんはこう考え続けたそうです。「今やるべきは体調を崩さない。気持ちが折れないようにする、裁判の準備をしっかりする、の3つだけだ」。

シンプルに3つの柱を心の中に打ち立て、戦い抜いた姿に私は感銘を受けました。そのような思考に至るまでどのような人生を歩んできたのかに興味を抱き、本書を入手したのです。

タイトルの「あきらめない」にある通り、仕事も子育ても村木さんは決してあきらめず、コツコツと歩み続けてきました。過去を悔やまず未来を憂えず、今できることは何かを必死に考える姿が本文からはわかります。悲壮感は決してなく、むしろ精一杯今を生きておられることが感じられます。

村木さんは「悩む」ということについて、「悩むなら上手に悩む」と述べています。そう、ウツウツと堂々巡りになっても先には進めないのですよね。一歩でも前進するにはどうすべきか。同じ「悩み」でも建設的な前進作業のためであれば、これは有意義であると私は感じています。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

END