INTERPRETATION

第23回 「できること・できないこと」が意味するもの

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

東日本大震災から2か月が過ぎました。現地では今なお避難所生活を続けている人たちがいます。復興活動は進んでいますが、災害が前代未聞の規模であったことから、まだまだ不自由な生活を余儀なくされている方々が大勢います。

大地震が起きるまでの日本は、ある意味で無気力な機運が漂っていました。「自分探し」をする者、目標が見つからない人たち、生活に不自由はしないけれども何となく充実感がないなどといった感情が、私たちの心を支配していたように思います。書店へ出向けば「○○しなさい!」といったタイトルのビジネス書が並びます。何か形に見えることを実行しなければ自分に価値はないのではないか。そんなことを思わせるような空気がありました。

そして起きたのがあの大震災です。あの日を境に私たちは価値観や生き方を大いに見つめ直したと思います。誰もが「自分にできることは何か」を考え、周囲のために、日本の復興のためにどう尽力できるかを考えました。新聞には著名人を始め、多くの人が地震に関する文章を寄稿していましたが、どれほどの有名人であっても「私には何もできないのではないか」と一度は無力感を抱いたとあります。けれども「それでも私にできることはこれしかない」と思い直し、各自が得意とすることやできることを実行し、支援や復興へとあたっていったのです。

私たちはそれぞれが得手なこと・苦手なことを持って生きています。たとえば私の場合、「英語が好き」で「文章を書くのが趣味」で「辞書を引くのがうれしい」という感情を抱きながら日々を送っています。それが私にとっての「できること」であり、今回の地震でもこうしたことに基づいて自分なりにできることをやろうと心がけました。

一方、私が苦手なのは一にも二にも「難しい機械操作」です。携帯電話も最低限の通話にしか使っていませんし、デジカメに至ってはSDカードがいっぱいになってしまい、「早くCD-ROMに落としてSDカードを空にしなければ」と思いつつ、数か月が過ぎています。そのようなわけでこの期間はデジカメで撮影すること自体がなくなってしまいました。最近はネガフィルムを用いるトイカメラがはやっているそうなので、こちらの方が操作も簡単で良いなあと惹かれているほどです。

こうして自分自身を掘り下げて考えてみると、結局のところ、自分が「好きなこと」が「できること」につながり、「不得手なもの」は「できないこと」ということになります。私の場合、iPhoneやiPadが流行していても、機械操作が不得意なのでいまだに購入していません。買っても慣れるまでの時間がもったいないとさえ思えてしまうのです。

ただ、いつまでも逃げ続けるわけにはいかないのが人生というもの。たとえば指導先の学校で「柴原先生、iPhoneを買っていただかないと授業ができません!」と言われれば必要に迫られて購入することでしょう。それまでは「流行だから」と流されるのではなく、「今の自分の持ち駒でできることを最大限行う」ということに集中したいと思っています。

(2011年5月16日)

【今週の一冊】

「大人の流儀」伊集院静 講談社 2011

伊集院静氏の名前はこれまで何度も見ていたが、書籍を購入したのは今回が初めてである。きっかけは日経新聞文化欄に掲載された氏の文章であった。

氏は女優の篠ひろ子さんの夫で、現在は篠さんの故郷である仙台に暮らしている。地震が発生した時も仙台だった。その時の感情を記していたのが文化欄に寄せられた文だったのである。非常に読みごたえがあり、私は一気に魅了された。

本書は大人としてどうふるまうべきかが短いエッセイで多数掲載されている。人を叱らねばならないときどうすべきか、くだらない番組を見たときどうふるまうかなど、日常生活における生き方が綴られている。伊集院氏独自の価値観も大いに反映されていて、万人がそれと同じことをフォローできるかといえばそうではないと思う。けれども、一人の人間として、また、一度きりの人生を送る者として、流されずに生きる大切さを本書から知ることができる。

伊集院氏が「ギンギラギンにさりげなく」の作詞家であることも本書で初めて知った。また、女優の故・夏目雅子さんの夫でもあったことも今回わかった。そうした人生の経験からしぼり出された一言一言には大いに重みがあると思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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