TRANSLATION

第72回 柔らかい文章を訳す③

土川裕子

金融翻訳ポイント講座

年内最後の金融講座は、毎年恒例、軽め(と言いますか、金融でない)内容でいきたいと思います。昨年はツイッター社本体の公式アカウントから発信されたおもしろツイートを訳しましたので、今年も何かないか探したのですが、マスク氏の買収騒動か、はたまたその後の大量解雇騒動のせいか、ツイート自体が少なく、これといったものが見つかりませんでした。仕方ないので、SF好きのわたしがぷぷっと笑ってしまった、かなり前の某ライターさんのツイートを取り上げることにします。

【本日の課題】
Stanley Kubrick was hired to fake the moon landing, but his perfectionism made them film it on location on the moon.                  —Duncan MacMaster

このダンカン・マクマスターさんは何冊か本を出しているようですが、世界最大の書籍お勧めサイトgoodreadsによると、Film school survivor, pop culture junkie, reformed blogger, relentless tweeter, and unrepentant nitpickerだそうです(こういうのを訳すのもおもしろそうですね)。

さて、この文の背景に「有人月面着陸捏造論」があります。米航空宇宙局(NASA)が1960~70年代に行った月面着陸計画(アポロ計画)は、実のところ捏造であって、人類が月に行ったというのはウソだ、とする説です。英語ではMoon Hoaxと言いまして、月面上で撮った写真に星が映っていないだとか、月面に立てられた旗が(空気がないはずなのに)なびいているのはおかしいとか、こまごましたことを理由に、人類が月面に降り立った現実はないのだ!と主張しているわけですね。(いずれも完璧に論破されているようですが)

ニール・アームストロング船長は、月面上に記念すべき第一歩を記して、「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である(That’s one small step for a man, one giant leap for mankind.)」という名言を残しましたが、あの時の映像は、実は映画「2001年宇宙の旅」を監督したスタンリー・キューブリックがNASAに依頼されて撮影したものである、などというものもありまして、今回の課題はそれが元ネタになっています。

まあわたしも現地(月)で実際に見たわけではないので、100%真実とも捏造とも断言できませんが(笑)、ここは「捏造論を揶揄するツイート」ということでやってみましょう。昨年と同じく、まずはAI諸氏に訳してもらいます。

【本日の課題】
Stanley Kubrick was hired to fake the moon landing, but his perfectionism made them film it on location on the moon.

【Google翻訳氏】
スタンリー・キューブリックは月面着陸を偽造するために雇われましたが、彼の完璧主義により、彼らは月面でロケ撮影を行いました。
【DeepL氏】
スタンリー・キューブリックは月面着陸のフェイクを依頼されたが、彼の完璧主義によって月面でロケを行うことになった。

どちらも「完璧主義が彼らに撮影させた」にしていないところは偉いですけど、それでも「完璧主義によって」はあまりに直訳。というか不親切。Googleは、hisとthemをそのまま「彼」と「彼ら」にしちゃったんですね。「雇われた」もこの偉業(?)に相応しくありません。その点、DeepLはそのあたりをちゃんと考慮できていて、さすがではあります。

今回の場合、日常生活に関する文章ではないので、表現の押し広げようはあまりありませんが、もう少し手を入れることはできるかなと思います。

【本日の課題】
Stanley Kubrick was hired to fake the moon landing, but his perfectionism made them film it on location on the moon.

【試訳】
・月面着陸の捏造映像の作成を依頼されたスタンリー・キューブリック監督は、完璧主義が高じて、月面でロケを行ったという。
・月面着陸のフェイク映像を作るよう頼まれたキューブリック監督だったが、完璧主義の彼は、月面での現地ロケを敢行した。
・キューブリック監督は、月面着陸の様子をでっちあげるよう依頼されたが、完璧を求める彼は月面での撮影にこだわった。

3つめはちょっと原文からずれちゃってますが、まあ場合によっては許されるかも。いずれにせよ、perfectionismひとつとっても、いろいろな表現方法があり得るということが分かっていただければと思います。あと、訳してから気がつきましたが、日本人向けの文章では、ほとんどの場合「監督」を入れますよね。このあたりも、(少なくとも今の段階では)人間ならではの気遣いでしょうか。

それでは、本年も御愛読(?)いただきありがとうございました。来年も時にゆるゆると、時にびしばしと進めていきたいと思います。

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記事を書いた人

土川裕子

愛知県立大学外国語学部スペイン学科卒。地方企業にて英語・西語の自動車関連マニュアル制作業務に携わった後、フリーランス翻訳者として独立。証券アナリストの資格を取得し、現在は金融分野の翻訳を専門に手掛ける。本業での質の高い訳文もさることながら、独特のアース節の効いた翻訳ブログやメルマガも好評を博する。制作に7年を要した『スペイン語経済ビジネス用語辞典』の執筆者を務めるという偉業の持ち主。

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