TRANSLATION

第77回 作家インタビュー~林望さん 前編

寺田 真理子

あなたを出版翻訳家にする7つの魔法

今回の連載では、作家のリンボウ先生こと林望さんからお話を伺います。『イギリスはおいしい』『増補 書薮巡歴』をはじめ食や旅、書物を題材にしたエッセイのほか、『知性の磨きかた』などの指南書も多数出版されています。近年は『謹訳 源氏物語』『謹訳 平家物語』など古典の現代語訳にも積極的に取り組んでいらっしゃいます。独自の文体をどう確立するか、人に読んでもらえる文章を書くにはどうすればよいか、お話を伺いました。

寺田:絵本『おぢさん』の翻訳を手がけていらっしゃいますよね。これは「リンボウ先生の文体で翻訳を味わいたい」という趣旨で出版社側からリクエストがあったのかと拝察します。

林(以下敬称略):『おぢさん』の着手から刊行まで、じつは10年という年月がかかりました。それはどうしてかというと、このブリッグスの絵本が、日本の児童書の世界の文章の概念とは相当にかけ離れた「辛口」の、社会批評的にリアルな文体で書かれていると思ったので、私は、原典のイギリス英語のニュアンスを活かしながら、全体を辛口の表現で訳しました。

ところが、小学館の担当者は、児童書を専ら扱っていた編集者だったので、「児童書の文体」というのが染みついているわけです。もうくわしいことは忘れてしまいましたが、子供には「子供らしい」口調ってのが、一つのステレオタイプとして染みついていて、みんなどこかべっとりと甘く訳すという方式があるらしいのです。これは、恐らく児童書を「読み聞かせる」のはお母さんたち、という日本的な慣習もあって、どこか女性的な文体で訳すのが約束みたいになっているらしかったのですが、私はそういうへんな慣習からは自由でありたい、原文の持っている辛口の批評性のようなものを活かしたいと思ったために、編集者と鋭く対立し、彼が「この言いかたはもっと子供っぽく、『……だよぉ』くらいにしてくれませんか」というような意見を言う度に、違和感を覚えていました。それでほとんど毎行にわたるこういうやり合いが半年も続いた揚げ句、とうとう私はさじを投げて、もうこれ以上、下らない表現にはつきあいかねると、その翻訳を中途で諦めてしまったということがありました。

ところがそれから10年ほどして、別の編集者に替ってから、再度出版に向けての作業が始まって、やっと妥協点を見出して出版にこぎ着けたという経緯があります。

私はよく朗読もするのですが、日本の児童書というものは、ほんとうに朗読するのに抵抗のあるものが多く、いわゆる「です・ます調」の緩い文体には生理的に抵抗があって、イギリスの児童文学のように、文章そのものが引き締まった表現を持っているものを、わざわざ緩い文体で訳すということが、ある意味で誤った翻訳だと、これは今でも確信的に思っているところです。

その意味では、私に翻訳を依頼してきたのは、別に私の文体で訳してほしかったわけではなく、この本が、よほどイギリスの「普通の人の普通の生活」に通暁した人でなくては訳せないと、編集者が思ったからであろうと思います。翻訳は、なんといっても原著というものがあるわけですから、その原著の持つ文体の色を活かすのが本来だと思います。

寺田:たしかに日本では絵本に「子供らしさ」が求められますね。それは選書の段階にも言えることで、大人向けの絵本は、内容が素晴らしくてもなかなか翻訳の対象にならないものです。

 それにしても、『おぢさん』の翻訳がそんなに大変な作業だったとは! 無事に世に出ることができてよかったです。てっきりああいうふうに訳してほしいというお話だったのかと思っていました。結果的にリンボウ先生の文体が活きた作品になりました。そういう意味で、翻訳家の翻訳とはまた別の、作家の翻訳だと思います。翻訳家がそこを目指すのは違うのかもしれませんが、やはり、「この方の翻訳だから読みたい」というのはあるわけです。第37回の笹根由恵さんのインタビューでも「翻訳家は黒子ではあるけれど翻訳家自身のカラーが選ばれることもある」という趣旨のお話がありました。そう考えると、翻訳家自身の文体が打ち出されていってもいいのではと思うのです。ご著書の読者の方々はきっと、リンボウ節とでもいうべき文体を味わいたくて読んでいらっしゃいますよね。その文体はどうやって確立されたのでしょう?

 林:やはり若いころに面白く読んでいた、アイドルとも言うべき作家たちの文体が、その前提としてありそうに思います。私の場合は、それが森鷗外であり、永井荷風であり、北杜夫であり、伊丹十三などであったわけですが、その反面、文体的にどうしても受け入れがたいという作家もあって、生理的に受け付けないのが宮沢賢治であり、太宰治であり、大江健三郎であり、という具合でありました。

寺田:自分と肌の合う文章を大量に読むというのがひとつのヒントのように感じます。

ご自身の文体を確立しようと意識的に取り組まれたのでしょうか。それとも気づけばそうなっていたのでしょうか。いつ頃から「これが自分の文体だ」という感覚を持てたのですか。

 林:私は若い頃は学者生活で、その頃書いた論文は全然文体が違っていました。その時分の文章の亀鑑は、私の学問の師匠阿部隆一先生の論文等で、その阿部先生の文章はまた鷗外を理想としておられました。したがって、非常に難しい漢字だらけの文体だったのですが、それでも、何人かの先生たちから「林の文章は読んでて面白いね」「この固い内容をこういうふうに読ませる文章は珍しい」などとよく言われたものでした。いつも読者を意識して、「読む立場」を考えながら書くということは私に生来備わっていた能力かもしれません。その頃もその後も、とくに自分の文体を確立したいというような意識は持ったことがありません。生まれつきの「なにか」でしょう。

そこで、『イギリスはおいしい』の草稿を書いたときに、どうしたら、学者ではない一般の人たちに読みやすく接してもらえるか、ということで文体をできるだけ易しく面白くと意識して書いた覚えがありますが、まだその時点では試行錯誤もあり、若干昔の佶倔な文体の名残があります。すっかり自らの文体を意識したのは、たぶん『帰らぬ日遠い昔』あたりからだろうと思います。なおこの本はごく最近やっと電子版がリリースされたので、簡単に読んで頂けるようになりました。

 寺田:年齢的な変化はありますか? 高樹のぶ子さんとの対談動画で、「この年齢になって身体と文体がしっくりくるようになった。つくるものではなく、身体から出てくる調べが年齢と関係がある気がする」という高樹のぶ子さんのお話がありました。『おこりんぼう』を拝読した時に、「リンボウ節が濃度を増した」印象を受けたのですが。年齢と文体の関係はどのように感じていらっしゃいますか。

 林:年齢的な変化は殆どないと思います。私の場合は、大学生時代から父のところへ来たエッセイ依頼を密かに代筆していたので、その時分の、父雄二郎の名前で発表されたエッセイがかなりあります。その頃はむしろ父の文体を模して、もっと平易に分りやすく書いた覚えがありますから、この意味では、高樹さんの意見には同調できません。

ただ、『おこりんぼう』の文体は、もともとのテーマが「わからずや漫筆」という連載で、世俗のありように筆誅を加えるというか、そういう厳しい内容を意識して書いたので、寺田君のような印象が感じられたことと思います。これは年齢には関係なく、表現意図の問題です。若書きのものに比べると、作家として出てから書いたものにはそれなりの熟練はありますが、文章のスタイルというのは、案外最初から決まっているものと思います。

 寺田:文章に携わる仕事というのは、生まれつきのもの、本人の文才によるところがたしかにあります。リンボウ先生はどちらかというと「生まれつき恵まれていなければ仕方ないからあきらめなさい」というお立場かと思うのですが、私は、たしかに生まれつきのものはあるけれど、ポイントを押さえて意識して磨いていけば人は伸びると思っているんです。

 そのポイントをできるだけ可視化して再現性を高められればと思うのですが、肌に合う文章を大量に読むこと、自分の文章の魅力を他者に見つけてもらうこと、読者を意識して文章を書くこと。お話に出てきた中で、これらは再現できると思うのですが、他にもそういうポイントはありますか?

 林:文章も芸術である以上、努力でできることには限りがあります。どんなに努力してもウサイン・ボルトのようには走れないし、ホロヴィッツのようにピアノを弾くこともできません。

しかし、個人ということで言えば、その「おのおのの才能の範囲で」、努力で次第に上手に書けるようになる可能性はありますが、それよりも大切なことは、「才能の有無は本人も知らない」ということです。地中深くに埋もれている金鉱脈のようなもので、掘らなければ出てこないのです。だから、最初からあきらめて書く努力をしないのは、どんなに才能が伏在していても結果はゼロだし、一方、自分では才能があるとは思っていなかったのに、書く努力を重ねた結果として才能を発掘するということもあります。その意味での努力はエッセンシャルだという意味では努力する甲斐はあると思うのですが、努力さえすれば、だれでも良い文章が書けるかというと、それは違います。しかも、良い文章を書くためには、書く内容が内在していなくてはなりません。

文章を書くことは、話すことと同じです。話をする能力の長けた人はそれを書くだけで面白い文章になる。しかし、だらだらと詰まらないことしか言わない人が面白い文章を書けるかというと、それはほぼ不可能だと思います。なぜなら、内在するナレーションを文字化する作業が「書く」ということだからです。

寺田:朗読や声楽をされたり、作詞のお仕事をされたり、言葉を文字として目で追うだけでなく耳で聴くことへの意識を強くお持ちかと思いますが、エッセイなどの文章を書く際も音読するなど、リズムを生み出すために工夫されているのでしょうか。

林:リズムは非常に大切です。私は、書いたものは、必ず朗読して推敲します。それも何度も。音声化することで、文章の歪みやら、流れの良くないところやら、分りにくい表現やらがあぶり出されてきます。この朗読という作業は、自分の文章を一度客観的なところに置き直して、第三者を意識して自己批判するという作業です。この自己批判のない文章は、ダメです。『リンボウ先生の文章術教室』などに、そこらへんは詳しく書いてありますから、御一読ください。

とくにネット時代になってから、みんな文章を書くということに、あまりにも意識が安易になってしまった気がします。こう思うからこう書こう、ではなくてこう書いたら人がどう読むだろうか、という意識が文章には必須です。

寺田:『リンボウ先生の文章術教室』では、生徒さんの文章を赤ペン添削されていますよね。どの箇所をなぜ削る必要があるのか、表現を変えることで全体の印象がどう変わるのか、話を展開する順番を入れ替えることにどんな意図があるのか、すごく具体的でわかりやすいです。のっぺりとしていた文章が、個性が際立って、読ませる文章に変わっていく過程がとても勉強になりました。

 ※林望さんの最新情報は林望ウェブサイトをご参照ください。

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記事を書いた人

寺田 真理子

日本読書療法学会会長
パーソンセンタードケア研究会講師
日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー

長崎県出身。幼少時より南米諸国に滞在。東京大学法学部卒業。
多数の外資系企業での通訳を経て、現在は講演、執筆、翻訳活動。
出版翻訳家として認知症ケアの分野を中心に英語の専門書を多数出版するほか、スペイン語では絵本と小説も手がけている。日本読書療法学会を設立し、国際的に活動中。
ブログ:https://ameblo.jp/teradamariko/


『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと~パーソンセンタードケア入門』(Bricolage)
『介護職のための実践!パーソンセンタードケア~認知症ケアの参考書』(筒井書房)
『リーダーのためのパーソンセンタードケア~認知症介護のチームづくり』(CLC)
『私の声が聞こえますか』(雲母書房)
『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』(クリエイツかもがわ)
『認知症を乗り越えて生きる』(クリエイツかもがわ)
『なにか、わたしにできることは?』(西村書店)
『虹色のコーラス』(西村書店)
『ありがとう 愛を!』(中央法規出版)

『うつの世界にさよならする100冊の本』(SBクリエイティブ)
『日日是幸日』(CLC)
『パーソンセンタードケア講座』(CLC)

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