INTERPRETATION

第37回 良き友との再会

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

いよいよ9月。子どもたちも2学期に入り、私も大学での授業準備や原稿執筆などを進めています。気温も少しずつ涼しくなり、秋の到来がうれしいところです。

この夏、我が家は当初の計画ではイギリスに行く予定でした。長男はイギリス生まれ。2002年に帰国以来、一度も「里帰り」していなかったのです。そこで今年こそはと思い、6月に航空券の見積もりをとりました。ところが家族4人でお盆に渡英というのはものすごく高くなってしまうのですね。ホテル代などを合わせたところ予算を大幅に上回ったため、断念してしまいました。

当初計画していたイギリス到着の8月9日、例の大暴動が起きました。かつて私が暮らしていた街・クロイドンでは老舗の家具店が放火されて全焼しました。その後数日間イギリスでは暴動が続き、緊迫した状況となったのです。もし何も知らずに日本を出国し、現地入りしていたらどうなっていたかと思います。あちこち気ままな旅をすることは難しかったでしょう。「何かに守られている」、そんな気持ちになりました。

さて、本題です。今回イギリス旅行がとん挫したため、代わりに北海道に行ってきました。4泊5日の短い旅ですが、「日本の大きさを体感する」をテーマに、往復共に列車を使ったのです。札幌と函館のみの訪問でしたが、その函館で学生時代の友人が私たち一家に会いに来てくれました。現在は仕事のため、函館から100キロ離れた街に暮らしています。はるばる2時間かけて車を飛ばして来てくれたのです。

この友人・Kさんとの出会いは、留学先のニューヨークでした。同じサマーコースに参加していたのです。Kさんは生まれも育ちも北海道ですが、中学時代から英語が好きで独学を続け、英検1級でトップの成績をおさめ、そのご褒美としてこのプログラムに参加していたのでした。

ほぼ20年ぶりに再会したのですが、あらためて英語の勉強法を聞いてみて非常に刺激を受けました。中学1年生の時からNHKラジオ講座を徹底的に聞き込み、ディクテーションやシャドーイング、暗唱や辞書引きなど、限られた素材をフルに活用していたのだそうです。北海道は関東のようにFEN放送(現AFN)が受信できないため、短波放送でVOAやBBCを聞いていたとのことでした。

高度な英語力を高校時代にすでに身に付けていたKさんですが、英語を使った職業はあえて選びませんでした。ある本を読んだことがきっかけとなり、医師をめざすようになったのです。さらに北海道には無医地区が多いことも知り、へき地医療を志すようになりました。ニューヨーク留学時にはすでにその道を歩み始めていたのです。

その後Kさんは、アメリカの病院で勤務経験を積むべく、大学病院の名簿を取り寄せ、何百通という問い合わせの手紙を書いたそうです。返事があったのはごく数通で、その中の一つで働くため渡米して修行を続けました。そして帰国後も札幌で医師としての活動を続け、ようやく数年前、ある過疎地域の病院の院長に就任したのです。

こうした話を聞きながら、「使命感」とは何かを考えさせられました。Kさんは同時通訳レベルの高度な英語力としっかりとした職業哲学を持っています。東京のみならず、グローバルな表舞台でも大いにその力を社会に還元できる、そんな人です。けれどもあえてそうした華やかな人生を選ばず、日本の一地方で地元の人々のために尽力しているのです。「北海道の、そして日本のへき地医療を改善したい。後進を育てたい」という思いに突き動かされて黙々と活動しています。「日々の医学情報の9割は今でも英語で入手している」とおだやかに語るKさんは、英語「を」学ぶのではなく、英語「で」社会に奉仕しているのです。

私の尊敬する佐藤初女先生は、こう述べておられます。

「奉仕はさりげなく、振り向きもしないで」

Kさんはまさにそれを実践していると思いました。

私は現在、「放送通訳」「英語講師」「執筆者」という3本柱で暮らしています。今後どう自分の英語を社会に還元できるか。Kさんとの再会を機に改めて考えています。

(2011年9月5日)

【今週の一冊】

「母のこころを すべてに」佐藤初女、アノニマ・スタジオ 2008年

今年6月、初女先生が「森のイスキア」のある青森からはるばる上京してくださり、講演会を開いてくださった。私にとっては数年前の北海道・支笏湖でのイベント以来のチャンスだったので、子どもたちを連れて聞きに出かけた。そのとき会場で入手したのが本書である。

本書はCDブックで、初女先生のインタビューが掲載されている。CDでは先生のお声が、そして本には美しい写真と共に先生のお言葉がある。日常生活の様子、森のイスキアの写真など、四季折々の風景と共に映し出されている。

中でも一番心に響いたのは次の文である。

「先のことは、一寸先もわからない。
でも今というこのときこそ確実なときはない。
だから、今この瞬間を感謝して生きる。」

あわただしい暮らしを続けるからこそ、この言葉を大切にしていきたいと思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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