INTERPRETATION

第57回 常に建設的意見を考える

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

世の中が不景気になったせいか、最近の日本では人々の「上機嫌度」も下がり気味なのではと私は感じています。その例が「クレーム」。ビジネス書のクレーマー対策本が売れていることからもわかります。先日読んだ新聞記事では、「大手企業の役職ある会社員ほど、サービスに難癖をつける」とありました。

私たちが生きる今の世界には「サービス提供者」と「サービス受給者」がいます。前者は私たちがお金を払った際、サービスをしてくれる人です。たとえばお店のスタッフや駅の職員、学校であれば授業を行う講師、国際会議の通訳者などがその例です。一方「受給者」はそのサービスを受ける者、つまりお金を払う私たちです。ただ、社会人として何らかの仕事についているのであれば、私たちは双方の役割を担っていることになります。

さて、私自身、サービス提供者である通訳者として稼働していますが、クレームを受けたことももちろんあります。デビュー当時のクレームはさすがにへこみました。けれども経験と共に、「そのクレームをどうすれば自分の通訳力向上に結び付けられるか」と考えるようになっています。

お客様からのクレームには以下の3種類があります。

1.無言で何も言わない
2.クレームそのものをガンガン言う
3.建設的意見を述べる

この中で一番精神的に答えるのは何と言っても2番でしょう。面と向かって、あるいはエージェント経由で自分の通訳技術の拙さを指摘されることは非常に辛いものです。当の本人が一番分かっている時などなおさらです。

一方、3番の建設的意見はとてもありがたいものです。「こうすればもっと良くなる」という期待を託してお客様はクレームを『意見』として提示なさるからです。たとえその中に苦情が入っていたとしても、より良い方向性を一緒に目指そうというスタンスが感じられれば、こちらも励まされます。

ただ、私自身、一番意識しているのが1番の「無言で何も言わない」というパターンです。「何も文句を言ってこなかったから大丈夫」とこちらもつい安心してしまいます。けれどもお客様によっては「もう期待しても無駄だ。文句や意見を言うだけ疲れる。もうこの通訳者は使うまい」という思いを抱いているかもしれません。何も言われないまま、仕事が次回から来なくなる。これでは自分も向上できませんし、お客様にとっても不満が残ったままです。だからこそ、「フィードバックがない=大丈夫」と慢心しないよう、自分に言い聞かせています。

自分がサービスを受ける際も同様です。「そのお店が好きだし、これからもそこを利用したい。でもこの店員さんの態度、あるいは店舗のあり方をもう少し変えれば良くなる」というのであれば、建設的な意見を提示することが大切です。何も言わず、陰で不満を言っていても解決しないからです。「無言で何も言わず、そのサービスから立ち去る」というのは、どうしても改善の望み薄という場合の最後の選択肢になります。

私の好きなフレーズに「批判をするなら対案を」があります。文句をどうやって改善に結びつけるか。サービスに限らず、子育てでも普段の生活でも当てはまると思っています。

(2012年2月6日)

【今週の一冊】

「土俵の矛盾」舞の海秀平著、実業之日本社、2011年

現役時代に「技のデパート」と言われるほど、多様な技を披露した舞の海。現在はNHK大相撲中継やスポーツニュースなどで解説やキャスターを務めている。私は相撲にそれほど詳しくはないが、車の運転中に舞の海さんの解説を聴くことがある。非常にわかりやすく、アナウンサー並みの美しい話し方で、いつも好感を持って耳を傾けている。

舞の海さんの分かり易さはどこから来るのだろう。そう思って入手したのがこの一冊。大相撲とは何かという話題から始まり、自らの生い立ち、八百長疑惑など様々なトピックがカバーされている。読み進めるうちに分かったのは、「大相撲をスポーツととらえてはいけない」ということであった。

詳しくは本書に譲るが、そもそも相撲とは神事であるということ。これを念頭に色々と国民は議論していくべきだと私は思う。本書にある通り、もし相撲をスポーツととらえるならば、体重別にしなければならないし、土俵に赤外線センサーを取り付ける必要も出てくる。日本の文化、これまでの成り立ちなど、しっかりと学んだうえでなければ、「八百長は悪い」と素人が唱えるにも無理があると思う。

舞の海さんの仕事観は通訳者のあり方にも通ずる。たとえば、「力士は生き様を見せている」という文。通訳者も、それまでの人生で体験してきたことすべてが現場では反映されるのだ。一方、「伝統を守ることは、時代の最先端の方法を取り入れて存続をはかること」という文章は、通訳者と機械通訳の関係に共通する。通訳という仕事を守るならば、私たち通訳者は機械通訳と対立するのではなく、共存しなければならない。

なぜあれほど舞の海さんの解説は分かり易いかについては、次の文章があった。

「お客様のためにも創意工夫は必要なのだと感じています。」

「(解説では)知識を学び取材をした上で発言し、『誰のための放送か』『誰に一番楽しんでもらわなくてはならないのか』を考えて、視聴者にむけて解説することが大事になります。」

私自身、通訳者として「誰のための通訳か」「誰に一番理解してもらわねばならないか」をこれからも常に意識していきたいと思っている。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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