INTERPRETATION

第74回 ファンになるきっかけとは

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先日親戚の集まりがあり、久しぶりに新幹線に乗りました。かつて私は独身の頃、海外・国内を問わず色々な出張を請け負っていました。もともと乗り物好きなので飛行機にも新幹線にもワクワクします。今は子育てが中心なので、あまり遠くの出張には出かけません。ですので今回は新幹線の時刻表(もちろん紙版!)を入手し、路線図や車両の長さ、車内サービスなどまで調べました。こうした準備が私にとっては実に楽しいのです。

さて、毎回飛行機や新幹線に乗る際、「あればいいなあ」と思うものがあります。それは「淹れたてのカフェオレ」です。エスプレッソの上にふわふわミルク。テイクアウトをした際、フタを開けるとコーヒーの良い香りが漂います。ただ今のところ残念ながらエスプレッソマシンを供えた新幹線はありません。そこで今回は乗車直前に駅のカフェで調達することにしました。

ところがそのお店は意外にもお客さんがいっぱいいたのです。なみなみと注がれたカップを、いくらフタ付きとはいえホームまで早足で運ぶとこぼれてしまいます。そのようなことを考えていると私の番になりました。早速注文したところ、スタッフの女性は次のように述べたのです。

「お客様、ただいま混んでおりまして、お時間5分ほど頂戴しているのですが、よろしいでしょうか?」

私はこの一言にとても感心しました。と言うのも、電車時刻のことを思いやってくれたからです。今回は出発まで残り少なかったため買うことはあきらめました。けれどももし機会があればぜひここでまた買おうと思ったのです。

お店のファンになるきっかけは色々とあります。味がおいしい、テレビで紹介された、友達が勧めてくれた、美人の・イケメンの(?)スタッフさんがいるなどです。特に飲食店の場合は実際に食するものですので、おいしいに越したことはないでしょう。けれども私の場合、いくらおいしくても、どんなにグルメ番組で絶賛していても、「お客様をおもてなししたい」という気持ちがなければリピーターになろうとは思えないのです。つまり大事なのは、サービスの受け手が何を欲しているか、それをサービス提供者は常に考えて行動することなのです。

これは通訳者も同じです。たとえば仕事の打診があったとしましょう。スケジュールが空いていなかった場合、みなさんはどのようにお断りするでしょうか?「申し訳ございませんが、別件がすでに入っております。またの機会によろしくお願いいたします」という返信をメールで送るのではと思います。私もたいていこういう文面です。けれどもここで一歩工夫するならば、「〇月の後半は比較的空いております」「毎週水曜日は授業を請け負っているため難しいのですが、それ以外は大丈夫です」と言う具合に、相手が今後スケジュールの問い合わせをしやすいよう、こちらからお伝えすることも大事だと思うのです。

苦手な分野を頼まれたときも同じです。興味はあるけれど、レベル的にみて明らかに自分では務まらないという場合は、正直に「現在その分野については勉強途上であり、今回はまだ力が及ばないかもしれません」と正直に述べて良いと思います。「ただ、△△のテーマについては大学時代に学びましたので、お引き受け可能です。将来お役にたてることがありましたらお知らせくださいませ」と自分の得意分野を合わせてPRするのも一案です。

飲食店であれ通訳者であれ、大事なのは「相手に喜んでいただくこと。お役にたつこと」です。ナイチンゲールは「人の役に立つことこそが真の気高さ」と述べています。私自身、「お役に立ちたい」という気持ちを忘れず、これからも歩み続けたいと思っています。

(2012年6月11日)

【今週の一冊】

「苔とあるく」 田中美穂著、WAVE出版、2007年

みなさんは普段どのようにして本を入手なさっているだろうか。私の場合、新聞の広告や書評、書店で偶然見かけるなどして買うのが大半だ。最近では手に入らない本もネット書店ですぐに送ってもらえて実に便利。しかもネット書店は、私がかつて検索したキーワードで「お勧め本」を画面に表示してくれる。それはそれで参考になる。けれども「その分野はもう卒業したのだけどなあ・・・」などということもあって、そんな時は少々煩わしかったりもする。

さて、今回ご紹介する「苔とあるく」はWAVE出版という1987年創業の出版社によるもの。たまたまWAVE出版の別の書籍に差し込まれていたPRパンフレットに本書が紹介されていたのである。数週間前、近所の民家園で野草観察会に参加したのだが、その延長で「苔も調べてみると面白いかも」と思い、買ってみた。

帯には「すぐ、そばにある、きれいでおもしろいもの。」という文字と共にかわいいイラストも添えられている。苔の拡大写真を見ると、花のような鮮やかな色も混ざっている(正しくは「花」ではなく「弾糸(だんし)」と言うそうだ)。何気なく見過ごしている苔も実に奥深い。

著者の田中さんは倉敷で「蟲文庫」という古書店を営んでいる。本書を読み進めるにつれて、田中さんがどれだけ苔を愛しているかがわかる。中でも印象的だったのが物理学者・寺田寅彦の引用である。

「どんなにつまらないと思われている草花でも、これを顕微鏡で覗いてみれば、じつに驚くばかりに美しい」

田中さんはきっとそのような思いで苔を愛でているのだろう。考えてみれば、私自身、中学時代に習った平凡な英単語でも「わあ、この単語とこの前置詞と組み合わせるとこんな意味が!面白い!!」とワクワクしているのだから、きっと同じなのかもしれない。

本書を読むと、街を歩くときの視点が俄然「路面」や「石垣」になる。今まで気づかなかった植物の美を見つめる幸せ。それを教えてくれた一冊だった。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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