INTERPRETATION

第182回 たかが5分、ではなく

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

「わあ、遅れちゃった!でも5分だから大丈夫かな?」

この日、スーパーを後にした私はこのように思っていました。時間は13時過ぎ。大急ぎで買い物を済ませて午後1時には自宅に戻ろうと思いつつ、少し長引いてしまったのです。

仕事柄、私は宅配便をよく利用しています。荷物を受け取るのはもちろんのこと、どうしても家を空けられない時はドライバーさんに集荷に来ていただいています。この日も仕事が立て込んでいたため、事前にお願いしていたのでした。依頼した時間帯は「13時から15時まで」。その間に荷物を引き取りに来ていただく予定でした。

「13時とは言ったけれど、そんなピッタリには来ないだろうな」というのが私の読みでした。スーパーの袋を抱えて自宅に戻り、引き続き仕事をしつつ15時まで待ちました。しかしなぜか来宅がありません。おかしいなあと思い、電話をしたところ「13時に伺ったのですが・・・」とドライバーさんの答え。そう、あの「5分ぐらい大丈夫だろう」という私のルーズさがゆえに不在状態にしてしまったのです。

日ごろ大学や通訳学校では「時間を守ること」がいかに大事か指導している私です。なのに自分の日常生活において「5分ぐらい」と思った甘さを私は大いに反省しました。結局、ドライバーさんには無駄足を運ばせたことになります。しかも我が家はマンションの4階、エレベーターなしの棟です。

さらにもう一つ。電話を切ってから新聞受けを見てみると、不在通知がありました。連絡欄には「集荷に来ました。また来ます。」と丁寧な字で書かれています。忙しい中これを書いてくださったこと、しかもこの伝票を確認せずに催促の電話をかけてしまったことをますます私は反省した次第です。

「5分」というのは決して長い時間ではありません。1時間という枠の中で見れば12分の1です。SNSをやっていたり、インターネットを覗いたりしていれば5分などあっという間のことでしょう。一方、極めて難しい内容の同時通訳であれば、5分間でもクタクタになります。「え?まだ2分しか経っていないの?難しいなあ」と冷や汗をかきながら私などは通訳をしています。

「たかが5分」ではなく、時というのはどのような長さであれ、大切にしなければならない。そう感じた出来事でした。

(2014年10月6日)

【今週の一冊】

“Phraseological Substitutions in Newspaper Headlines” Sylvia Jaki, John Benjamins, 2014

日ごろニュースの通訳に携わる私にとって、新聞を読むことは仕事の一部である。現在購読しているのは日本経済新聞。経済面や国際面が充実しているのはもちろんのこと、理系や芸術系の話題も豊富で、一般教養を広めるためにも重宝している。

かつては英字新聞を宅配でとっていたこともあった。まだ通訳の勉強を始めたころだ。他にもTIMEなどの英字週刊誌に挑戦したこともある。割引キャンペーンや申込者全員プレゼントなどに惹かれてとりはじめたのだ。しかし私の意気込みもそう長続きはしなかった。新聞は毎朝届くのでどんどんたまる。未開封の週刊誌もそのまま山積みに。そして「読むことのできないルーズな自分」という自己否定が始まり、次第に英語学習そのものが嫌になってしまう。そんなパターンに陥ったことがある。

以来、「無理なことは無理」とあきらめ、あまり手を拡げないようにしている。英字新聞は駅のキオスクで買うと決め、仕事のない日、つまり、電車に乗らない日は英字新聞を買わなくても良いと自分を許すことにした。週刊誌も、ふらりと大型書店に立ち寄ったときに手に取り、面白そうと思えば買うにとどめている。おかげでストレスは随分減った。

選択肢を狭めることは私にとって大きなメリットとなっている。それは「限られた素材を大事に扱い、自分で工夫して調理すること」を心がけることができるからだ。たとえば英字新聞の場合、不明単語を調べたり、写真のアングルに感嘆したりと、英語学習以外の側面からも味わうようになった。日本語新聞には見られない視点は、物事をバランスよく見る上でも大事だと思う。

今回ご紹介する本は、英字新聞の見出しの特徴を取り上げたもの。学術書なので割と堅めの内容だが、拾い読みをしていると、新聞記事の見出しがどのように工夫されているかが説明されている。たとえばある記事の見出しは”Yes, we can’t”であり、これはオバマ大統領の就任当時に有名になった”Yes, we can”を用いたものである。他にもCents and sensibility(もとはSense and Sensibility、つまりジェーン・オースティンの小説「分別と多感」)、Good news is no news(もとはNo news is good news)など、ひねりをきかせた見出しを紹介している。

私がかつて英字週刊誌に挫折した最大の理由は、記事のタイトルが理解できなかったことである。本文を読む前にタイトルに目を通すものの、短い見出しに凝縮された意味が把握できなかったからだ。イギリスに暮らしていた頃、雑誌「AERA」の広告を新聞紙上で見たが、日本にいなかったために流行が分からず、キャッチコピーに眉がハの字になったことがある。ことばというのは英語であれ日本語であれ、字面だけでなく文化、風習や流行などトータルな要素を理解していることが肝心なのだ。

本書には英字新聞だけでなく、ドイツ語やフランス語の新聞も紹介されている。マスコミや記事作りに興味がある読者ならば、きっと多くの示唆が与えられることと思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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