INTERPRETATION

第287回 一期一会

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

私の場合、長年フリーランス勤務が続いています。大学卒業後は会社員として定時の仕事に就いていました。平日は満員電車に揺られ、夕方は会社や友人とのお付き合いで帰宅が遅くなり、行きも帰りも座れない通勤というのはなかなかハードでしたね。就職直後は仕事も好きで張り切っていたのですが、そのうち「留学したい」という思いや「英語の勉強がしたい」という情熱が高まり、週末は専門の学校へ行くようになりました。多少の寝不足も何のその、夢さえあればという思いがありましたので、今にして思えば若かったのでしょう。

留学から帰国後は正社員の仕事に就くことができず、どうしようかと思っていたところ、運よく通訳の仕事が回ってきました。以来、ロンドンのBBCでの4年間を除きずっとフリーランスです。会議通訳の仕事のおかげで、それまでは体験できないようなことを見聞することができ、自分の人生観も大いに変わりました。また、すばらしい方々の言葉を通訳したり、お人柄に触れることができたりと、職業冥利に尽きることもたくさんありました。本当にありがたいことと思っています。

人生、生きていれば色々な人に巡り合うものです。通訳業務の場合、たいていは一期一会の世界です。「これほどの素晴らしい人と一度しか会えないなんて」という方もいらっしゃれば、その逆のケースも私は経験しています。後者に関しては「自分と価値観や倫理観が異なる」というのが、違和感を抱く最大の理由でした。ただ、通訳者の場合、「仕事を依頼した側」つまり、クライアントが私の雇用主になりますので、通訳者としては忠誠を誓わねばなりません。たとえ自分の人生哲学に合わなかったとしても、意味を捻じ曲げて通訳してはいけないのです。

幸い私の場合、すばらしい方々のお傍で通訳する機会の方が断然多かったのですが、自分の良心と照らし合わせて通訳するのが苦しかった、というケースもごく稀にありました。海外の方が来日の際、日本の企業へ同行したのですが、訪問目的の趣旨が私の価値観と合致しなかったのです。私がただ単にnaïveで神経質になり過ぎていた、ということもあったのでしょう。

ではそのようなとき、どうするか。こればかりは、その業務が終了するまで忠実に自分の役目を果たすのみです。訪日目的が明らかに法律違反ではなかったのですから、こちらが目くじらを立てたり気分を害したりしていては、それだけで邪念が入ってしまい、通訳の精度が落ちてしまいます。業務時間中はとにかく通訳という行為自体に集中して、あれこれ考えないようにするのが最善策なのです。

これは日常生活でも同じことが言えると私は考えます。過去の嫌な出来事を思い出してしまったり、自分が苦手な相手のことを考えてしまったりするだけで、私たちはついつい気分を自ら暗くしてしまいます。このような心境に陥ると、よほど即座に、そして大々的に気分転換でもしない限り、負の感情がのさばってしまうのではないでしょうか。

「今、この瞬間」にその人やその出来事と直接的な接点がないのであれば、もはや心配に値することでは実はないのですよね。そのことを考えること自体、正直なところ、単なる「時間の無駄」でもあるわけです。自分の貴重な「人生時間」をそうした人や出来事に捧げてしまっていることになります。

では、常時接点がある際にどうするかを考えてみると、これは「改善のために直接的行動に出る」「耐える」「そこから離れる」の三択しかありません。中でも「耐える」というのはかなりハードな選択肢です。けれども、極端な話、「演じているのは見事に耐えているワタシ」といっそのこと、思い切りなりきってみるのも、逆説的ではあるのですが一案だと思うのです。

心身を害するまで我慢することはもちろん良くありません。けれども、日常生活では「気分がすぐれないものの、あえて明るく振舞っていたら何だか楽しくなってきた」という経験を私自身しています。それと同様、「耐える演技をしていたら、何だか乗り切れてしまった」という方法もあるのではないかと最近の私は考えているのです。

人生、長い目で見ればすべて一期一会の世界です。特にフリーランス通訳というのはそれが色濃くあります。狭い視野の中でうじうじ悩むのでなく、何事も割り切ってみる、ダメなら次の案を実行してみる。

こうした方法を実践し、試行錯誤しながら人生は続くように思います。

(2016年12月12日)

【今週の一冊】

「図説 戦時下の化粧品広告〈1931-1943〉」 石田あゆう著、創元社、2016年

ことばを生業としているため、「活字」の色々な側面に私は日ごろから注目するようにしています。たとえば語源や意味、ことばの変化などです。ことばは生き物であり、時代と共に変遷します。そうした違いを日本語だけでなく、他言語でも楽しむようにしています。

もうひとつ、日常生活の中で関心を抱いているのが「デザイン」です。ただ、私自身、子どもの頃の図画工作、あるいは美術の成績はさっぱりで、今も自ら絵を描いたり制作をしたりすることは得手でありません。私の場合、もっぱら「観る側」にまわっています。幸いに首都圏に暮らしていると、世界各地の名画や作品の展覧会がありますので、本当にありがたいと感じます。ちなみに数年前のこと。東京で見逃してしまったフェルメール展を出張先の九州で観たことがありました。仕事の合間を縫って閉館間際に駆け込んだのですが、実物を鑑賞できてとても幸せだったことを思い出します。

さて、今回ご紹介するテーマは「化粧品広告」。しかも時代は第二次世界大戦前から半ばまでのものです。この時代にしては2色刷りでカラーも見られ、描かれているデザインは当時としてはとてもモダンであることがわかります。実際、当時のキーワードは「モダンガール」。ポスターに写る女性たちはいずれも黒髪の色白美人です。戦争前の広告に注目してみると、着物姿も多く、その一方で洋装に帽子、毛皮などの装飾品も見受けられます。まだ厳しい戦争に突入する前でしたので、その頃はまだ女性たちのあこがれを表す余裕があったのかもしれません。

ポスターに書かれている文言も縦書きや右からの表記が多く、「ニキビ」も左から読めば「ビキニ」、「クリーム」は「ムーリク」とついつい読んでしまいます。写真ポスターの特徴としては、真正面を見つめたものより、斜め上を見つめているものが多いように思いました。未来に向けての目線、ということでしょうか。

どのポスターも美しく、絵葉書好きの私にとってはぜひともポストカードにして販売してほしいものばかりでした。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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