INTERPRETATION

第31回 異文化を知ることは幸せにつながる

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

ここ数年、若者が海外へ出かける数が少なくなっています。景気後退が主な理由ですが、それと同時に内向き志向とも言われています。自分のいる半径数百メートル以内で何となく満足してしまっている、そんな風にも見受けられます。

内向き志向は若者に限ったものではありません。以前日経新聞に掲載されていたドイツ文学者・池内紀先生の文章によれば、大学研究者もやはり同様とのこと。「わざわざ海外に行かなくてもネットで世界の論文は読めるし」という若手研究者の考えに驚いたと先生は記しています。

私は幼少期・大学院・社会人を含めて10年ほど海外に暮らしたことがあります。私にとって良かったこと、それは「異文化を体験したからこそ、今のありがたさを実感できる」という点です。それを顕著に感じた出来事が最近3つありました。

一つ目はクリーニングに関することです。以前イギリスで暮らしていた時、ジャケットを引き取りに出かけると、自分の物とは異なるジャケットを渡されました。尋ねると「あなたのジャケットが古くて破れてしまったので、代わりの物を入れておいたから」とのこと。驚きあきれていると「苦情があれば本部へ言ってほしい。ついでに元の値段も伝えてほしい」と店員さんの言葉は続きました。

国際電話をかけて母にジャケットの値段を聞きだし、再び店舗へ出向いてようやくそれなりの金額を『弁償』という形で手渡されました。謝罪は一切なく、極めて事務的でした。

一方、先日近所のクリーニング店で同じような状況が発生しました。出したジャケットが行方不明になってしまったのです。けれども対応はさすが日本だけありました。「現在調べております」との進捗状況が週1回電話で寄せられ、最終的に紛失がわかった後は「クリーニング代金の20倍が法律で定められた賠償額」といった丁寧な説明に加えて、誠意の見られる謝罪があったのです。これぞ心のこもったサービスだと改めて思いました。

二点目は病院に関してです。このたびガン検診を受けたところ、「要精密検査判定」が出ました。以前も同様の結果が出たので心の準備はしていましたが、やはり緊張はします。再度病院を訪ねたところ、すぐその場で超音波診察があり、結果は「問題なし」であることがわかったのです。病院到着から判定が出るまでわずか35分でした。

イギリスにいたころは、まず予約を取るのに時間がかかりました。以前夫が全身じんましんで血液検査をお願いした際、予約日の通知が来るまで数週間、さらにそこに書かれていた採決日は何と数か月後になっていたのです。わずか数ccの血液を採るのになぜこれほど待たなくてはならないのか、理解に苦しみました。日本の場合、とりあえず病院までたどり着けばその日のうちに診察してもらえます。そのありがたさをしみじみ感じました。

最後は電車ダイヤについてです。最近日本では車両点検や人身事故などで電車の遅延が増えましたが、それでも数十分以内にダイヤは復帰します。けれどもイギリス時代は「運転手が出社していないので運休」「線路に葉っぱが落ちているので遅れ」「ダイヤが乱れたので急行は運休」など、半ば冗談のようなアナウンスが頻繁に流れていました。ですので私自身、通勤時間は1時間以上余裕を持って家を出ていたのです。その頃を考えると、日本の「数十分の遅れ」は私にとって「え?数十分で復帰できるの?すごい!!」となります。

こうしてみると人生における経験というのは、何事も無駄がないと改めて思います。今の状況に感謝できるようになれば、その分、心も穏やかに過ごせるように感じています。

(2011年7月18日)

【今週の一冊】

「指揮棒は魔法の杖?」 エックハルト・レルケ編、野口剛夫訳、音楽之友社 2007年

モノをなるべく増やさない生活を最近意識しているため、このところ本は買うよりも図書館で借りることが増えている。そんな中、本書は偶然図書館で見つけた一冊。たくさんの指揮者がインタビューに応じており、私が敬愛する指揮者、マリス・ヤンソンスも掲載されていた。

ヤンソンスによれば、指揮棒なしでももちろん演奏はできる。けれどもまずは基礎をマスターしなければならないと説いている。基礎を学んだうえで初めて自由が得られるのだという。

これはどのような分野でも当てはまる。英語力を向上させたい場合でも、やはり基礎文法や基礎語彙を押さえなければ次のレベルには進めない。私たちはつい「最小限の努力で最大限の効果」を期待してしまうが、それは違う。やはり音楽同様、基礎の積み重ねが必要なのだ。

本書にはほかにもたくさんの指揮者が指揮棒についてはもちろんのこと、自らの音楽観を披露している。インタビューから「学び」そのもののヒントが得られる。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学非常勤講師。 上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。 ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 NHK「世界へ発信!ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当。 ESAC(イーザック)英語学習アドバイザー資格制度マスター・アドバイザー。 通訳学校にて後進の指導にあたるほか、大学での英語学習アドバイザー経験も豊富。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)、「英検分野別ターゲット英検1級英作文問題」(旺文社、2014年:共著)。

END