TRANSLATION

第88回 原書の検討プロセス⑦

寺田 真理子

あなたを出版翻訳家にする7つの魔法

どんな原書をどうやって見つけたのか出版翻訳する価値があるかをどう見極めているのか第71回に引き続きお伝えします。

⑦認知症についての専門書

これまでにご紹介した原書はいずれも絵本でしたが、今回は認知症についての専門書です。オンライン書店を検索する中で、以前からチェックしていた著者の新刊が出ているのを見つけました。

実は、以前にもこの著者の本を出版翻訳しようとしたことがありました。内容も興味深く、版権も空いていることが確認でき、翻訳を進めていたのですが……残念ながら、出版には至りませんでした。というのも、あまりにも哲学的過ぎたのです。イギリスの学術書にありがちなのですが、冒頭部分に「なぜ自分がこの研究をすることになったのか」という経緯や意義を歴史的に延々と説き起こしているのです。具体的な事例はとても身近でおもしろいのに、この冒頭部分がとても小難しいのです。結局、それが原因で「日本の読者には受け容れられないのでは?」という判断になりました。

内容がよかっただけに残念でしたし、著者の研究内容はその後も気になっていました。その著者の新刊ということで、まずは取り寄せて読んでみました。すると、内容もとても私自身の興味関心と重なるものでした。

本書は、認知症とセクシュアリティをテーマにしています。これまで手がけてきた本の中でも、部分的にですが、このテーマに触れてきました。それを訳す中で、「すごく基本的なことなのに、現場の介護職や家族にも知られていないことがたくさんある」と気づきました。

たとえば、認知症がある人が、「暑い」と思って服を脱ごうとしたのを、露出しようとしていると受け取られてしまうことがあります。あるいは、介護のために身体に触れられたのに対し、介護者を抱きしめようとして、セクハラと思われてしまうことがあります。いずれも、本人にしてみれば、暑かったから体温調節をしようとしただけだったり、触れられたから介護者をかつての恋人と勘違いしただけだったりするのです。本人の立場に立ってみることで、「そういう状況だったら、そうするだろうな」と納得できるのに、その視点が抜け落ちているために、露出狂やセクハラといったレッテルを貼られてしまっているのです。

日本の介護現場では、介護職へのセクハラが以前から問題視されてきました。そういう事実は確かにありますし、悪質なケースもあるので対処が必要ですが、中には上記のような誤解も多々あります。それは認知症がある本人にとっても、介護者にとっても、お互いに不幸なことだと思うのです。

本書では、このような誤解をていねいに解いていくだけでなく、セクシュアリティを人の本質に関わるものと捉え、「介護の現場でセクシュアリティを取り上げないことは大きな見落としではないか」という問題提起をしています。著者自身も30年にわたって現場で専門家として活動してきただけにその問題提起は重みがありますし、本を読んだ私自身も「これは日本の現場にとって大事な問題提起だ」と捉えています。出版翻訳することに、大きな意義があり、価値のある本になるでしょう。

以前の著作が出版に至らなかったので、私も「今度こそこの著者の本を日本に」という捲土重来の思いがあります。そこで企画書をつくっただけでなく、一冊丸ごと訳し終え、同時進行で出版社も探してきたのですが……。

次回は、その中で遭遇した問題と、それにどう対応してきたかについてお伝えします。

※この連載を書籍化した『翻訳家になるための7つのステップ 知っておきたい「翻訳以外」のこと』が発売中です。どうぞよろしくお願いいたします。

Written by

記事を書いた人

寺田 真理子

日本読書療法学会会長
パーソンセンタードケア研究会講師
日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー

長崎県出身。幼少時より南米諸国に滞在。東京大学法学部卒業。
多数の外資系企業での通訳を経て、現在は講演、執筆、翻訳活動。
出版翻訳家として認知症ケアの分野を中心に英語の専門書を多数出版するほか、スペイン語では絵本と小説も手がけている。日本読書療法学会を設立し、国際的に活動中。
ブログ:https://ameblo.jp/teradamariko/


『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと~パーソンセンタードケア入門』(Bricolage)
『介護職のための実践!パーソンセンタードケア~認知症ケアの参考書』(筒井書房)
『リーダーのためのパーソンセンタードケア~認知症介護のチームづくり』(CLC)
『私の声が聞こえますか』(雲母書房)
『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』(クリエイツかもがわ)
『認知症を乗り越えて生きる』(クリエイツかもがわ)
『なにか、わたしにできることは?』(西村書店)
『虹色のコーラス』(西村書店)
『ありがとう 愛を!』(中央法規出版)

『うつの世界にさよならする100冊の本』(SBクリエイティブ)
『日日是幸日』(CLC)
『パーソンセンタードケア講座』(CLC)

END