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第262回 出版翻訳家インタビュー~越前敏弥さん 前編

寺田 真理子

あなたを出版翻訳家にする7つの魔法

今回の連載では、第33回第34回にもご登場いただいた出版翻訳家の越前敏弥さんからお話を伺います。長く第一線でご活躍の越前さんが、まだミステリの翻訳のお仕事を始めたばかりの頃に原書を読んで魅了され、長年かけて出版を実現したという『オリンピア』。読み応えのある文学作品としてはもちろん、越前さんの「執念の持ち込み作」としても話題の本書について、持ち込みのプロセスを中心にお話を伺いました。

寺田:本日は『オリンピア』の持ち込みプロセスを中心にお話を伺っていければと思います。本書のあとがきで、7社からお断りのお返事をいただいたと知って驚きました。越前さんのようにキャリアがある方でもそれだけご苦労されたと知ると、持ち込みに挑戦中の読者にも励みになると思います。

越前(以下敬称略):地味な作品なので、ある程度覚悟はしていました。

寺田:すでに人間関係ができていて、作品を理解してくれそうな編集者さんに絞って持ち込んでいるはずですよね。それでもお断りが続いてしまうものなのでしょうか。

越前:その時に仕事をしていた人や、たまたま会った人に、まずは声をかけていきました。1社目の感触が相当厳しかったので、これは相当難航するな、と思いながら色々なところに声をかけていきました。切り札として最後のほうに取っておいたのが6社目と7社目なんですが、そこも断られてしまいましたね。

寺田:そうだったんですね。「もうひとつのあとがき」を拝読して、すごくパーソナルな部分が中心になっているのが印象的でした。作品の文学的価値や売れ行きなどではなく、個人的な思い入れを前面に出しておられますよね。

越前:作品のことについてはシノプシスで書いてあったのですが、7社目の編集者に、「これで売っていくのは正直なところ厳しいから、個人的なことでプラスアルファで何かないですか」と言われて書いたのがあの文章なんです。

寺田:作品については語り尽くしたうえで、さらに訴える意図で書かれたものだったのですね。

越前:ええ。まあ、それでもやっぱり難しいだろうということで、結局は通らなかったわけですが。

寺田:それは作品の性質が理由なのでしょうか。『ロンドン・アイの謎』も持ち込み作品だそうですが、こちらのほうはすんなり企画が通ったのですか。

越前:『オリンピア』の場合は著者のデニス・ボックの『灰の庭』という作品がすでに出ていて、この作品の売れ行きがあまり良くなかったというのがマイナス要素なんですね。一方、『ロンドン・アイの謎』は、著者のシヴォーン・ダウドが原案を手がける『怪物はささやく』が日本でも映画化されて大ヒットしていました。同じ著者の他の作品のこれまでの売れ行きによって事情が違いました。デニス・ボックの場合は、20年近く前のことですが、一冊日本で出ていたことがむしろマイナスになったということですね。『灰の庭』は日本が舞台で、出版社も期待して力を入れたようですが、作品が地味すぎたこともあって売れ行きは良くなかったんです。それで出版社のほうに著者に対してある種のトラウマがあったのだと思います。

寺田:そういう理由で企画が通らないことは結構多いように感じます。その作品自体は評価していただけているのに、翻訳作品全般の売れ行きが芳しくないからという理由で断られることもありますし。

越前:日本を扱う作品の場合、成功すれば大きいのですが、失敗する可能性も結構あります。海外文学でわざわざ日本のことを知りたくないという考え方もあるわけですから。

寺田:なるほど。そういう考え方もあるのでしょうね。数年前に比べて、持ち込みが難しくなってきたという実感があります。以前に大森望さんにお話を伺ったところ、初版部数が減った分、持ち込みのハードルが下がったとのお考えでした。越前さんはどのように見ておられますか。

越前:大森さんの発言の意味はわかります。SFというジャンルではコアなファンがいるので、読み続けているファンがいるわけですね。SFならどんなものでも読むという人が1000人いたとすれば、初版部数が2000部に減れば企画が通りやすいという意味でしょう。ただ、これはミステリや文学全般には当てはまりにくいと思います。全体としては、出版事情が厳しくなっているから持ち込みも厳しくなっていると考えていいと思いますよ。

寺田:持ち込みを続けておられる際、「こんなに大変なら、いっそのこと自分で出版社を設立して版権を取ったほうが楽なのでは……」とお考えになることはありませんでしたか。

越前:版権交渉が必要ないのであれば、そういうことも考えられるかもしれません。版権交渉を実際にやったことがあるわけではないですが、話を聞くところでは、これがめちゃくちゃ大変だということがひとつ。もうひとつは、販売です。クラウドファンディングも以前やったことがありますが、本をつくることそのものは何とかできなくもないのですが、売ることに関しては、プロが必要なんですよね。同人誌レベルで数百部売るのであれば、今の時代なら出版社を経由しないでもできるんです。だけど、ある程度以上の人に知ってもらうとなると、商業出版を考えないといけない。自分自身が翻訳の仕事をフルでやっている中でやるのは無理ですね。

それとは別に、たとえば翻訳テキストなど、数百人ほどのごく一部の読者に向けたものは、AmazonのKindleダイレクト・パブリッシングみたいなもので今考えています。同人誌レベルでも、最近は自分で版権を取っちゃうようなすごい人も出てきているわけですし。うちの弟子たちもこの間『LETTERS UNBOUND』という同人誌で、現代の作家と交渉することをやりましたしね。ただ、それは無名の作家だからできることだと思いますし、何千部レベルで売っていくとなると、ひとりの力ではまだまだ無理かなと思っています。

寺田:自費出版で出したものが好調で商業出版になるケースもあるようですが、自費出版から商業出版へ、という流れも考えることはあるのでしょうか。

越前:今回の『オリンピア』の話とは別に、自費出版みたいなことも考えています。それは、今翻訳で商業出版の仕事を続けているのとは別に、空いた時間でやりたいと思っています。自分では無理だと思いますが、自費出版が好評で商業出版に転じるケースも今後はあるでしょう。Fifty Shades of Grey みたいなことが日本でもあれば、励みになる人は多いでしょう。

寺田:いつもすごくお忙しそうですが、空いた時間があるのですか。

越前:空いた時間はそうないんですが、何年かに一度、次の仕事との合間に空いた時間ができることがあって。何か新しいことをやるというよりも、これまでに書きためたものを再構成したり、翻訳の講座で使った資料をまとめたりということは、近いうちにできたらと思っています。

寺田:『オリンピア』は北烏山編集室が世に送り出す最初の作品として刊行されました。選び抜かれた作品を刊行するために出版社を立ち上げる、ひとり出版社のようなケースが最近は多いですが、今後の文芸翻訳作品はそのような出版社から刊行されることが増えるのでしょうか。

越前:増えると思います。両極端になるでしょうね。大手のものと、どうしても出したいという作品をゲリラ的に出すものと。クラウドファンディングであったり自費出版であったり、様々なケースがあると思いますが。今は、大変ではあるものの、ひとりかふたりで出版社はすぐにつくれる時代になっているわけです。学術書など初版が1000部に達しないものは、むしろそういう版元のほうが出しやすい。文学作品に限らず、採算ギリギリだけれども、どうしても出したいという作品がある場合に、それに応えてくれるような出版社と一緒にやるケースは、ある程度増えていくと思います。

『オリンピア』の場合は、三省堂の樋口真理さんという、もともと僕の担当だった編集者がいまして。7社のうちのひとつが、樋口さんに持ち込んだ三省堂だったんです。三省堂では文芸の出版はなかなか難しいのですぐにお断りはされたんですが、実は樋口さんがデニス・ボックの『灰の庭』の大ファンだったんですよ。そうやって以前からお話をしていたことがあって、北烏山編集室が出版を始めるとなった時に、まず最初にこちらに声をかけてくれたんです。偶然といえば偶然なんだけれども、縁ではあります。その縁を育むような機会づくりは、色々な編集者との日々のやり取りの中で常にやっています。その中のひとつが実を結んだということでしょう。そういうことは、小さい出版社と翻訳者との間で、あちこちでありうることだとは思います。

寺田:『オリンピア』を今再読しているのですが、作品の構成や一つひとつの事物の意味合いなど、再読してはじめて気づくことが多くあります。文学作品の愛好者は別として、読みこなせる読者は限られるのではと思います。特に最近は「すぐにわかる」と過度にわかりやすさを追求することで、読者の側も、読み込もうとするよりも「自分にわからないように書いてあるのが悪い」「わかるように書いてくれ」という傾向がすごく強いように感じます。そういう読者が増えている中で、『オリンピア』のような作品を出版できるようにするための下地をつくる意味でも、出版文化という意味でも、作品をしっかり読める読者を育てていかないといけないのではと思っています。越前さんは以前からミステリの読書会の開催など、読者を育てる活動もしていらっしゃいますが、今の読者層についてはどのように感じておられますか。また、ビジネス書のご著書の読者層と文芸書の翻訳作品の読者層についてもお伺いしたいです。かなり異なる読者層のようにお見受けしますが、前者から後者に移行するケースもあるのでしょうか。

越前:いわゆるビジネス書は、私はやっていないと思うんですよね。どこまでをビジネス書とするのかわかりませんが、語学を勉強する人向けの本はやっています。それがビジネス書の読者と重なることはあると思います。読者層を広げることについては、むしろ私も訊きたいくらいです。まったく離れたところから引っ張るのは難しいでしょうが、周辺にいる人たち、たとえば日本のミステリが好きで国内の作家の作品を読む人に海外ミステリを読んでもらうことは、ちょっとしたきっかけでできると思います。近いところから引っ張ることはできると思っているんですね。語学に興味がある人に、ミステリでも純文学でもいいんですが、海外文学を翻訳のテキストにすることで興味を持ってもらえる可能性もあります。とりあえずは、そういうところから広げていくしかないと思って、ずっとやってきています。

ただ、新しいこともやってみたいと思っています。まだ詳しくは言えないんですが、とあるYouTuberとこの夏に対談する予定があるんです。その人自身は読書家なんですが、その人のチャンネルを見ているのは文学とはまったく縁がない人たちで、たまにそんな人たちに本を薦めたりしていらっしゃる。そういう人と話をしてみて、ヒントを得たいと思っているところです。

寺田:かなりこれまでとは違う、対極にいる方たちに働きかけるような取り組みですよね。

越前:そうなんですよね。そもそも自分やまわりにいる人たちのほとんどは本好きとして育っているわけで、そういう我々には見えないものが絶対あるはずなんです。本がTikTokでバズることも、時々ですがあるわけですよね。本を読まない人を連れてくるきっかけがどんなものか、今はまだ自分に答えがあるわけではないですが、あるといいな、と。連れてくるというか、「読者を育てなきゃいけない」と言っていたのでは、たぶん来ないと思うんですよ。育てるとか、そういう上から目線ではダメ。「おもしろいから、みんなで読もうよ」っていう、そんな切り口が色々あり得ると思うので、新しい切り口があれば考えたいと思っているんですよね。

寺田:いつも新しいことに色々と取り組んでおられる印象があるのですが、そのモチベーションはどこから来るのでしょうか。

越前:モチベーションは別にないんですよ。自分の本も含めて、売れてくれたらいいなという思いはあります。翻訳作品、海外文学全般を読んでもらえるように、数打ちゃ当たるじゃないけれど、色々やってみようと。

後編に続きます。後編では、『オリンピア』のオンライン勉強会についてお話を伺うほか、AIと出版翻訳の現状や将来についても伺います。どうぞお楽しみに!

※越前敏弥さんの講座やメディア掲載などの最新情報はnoteをご参照ください。

 

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※出版翻訳に関する個別のご相談はコンサルティングで対応しています。

 

 

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記事を書いた人

寺田 真理子

日本読書療法学会会長
パーソンセンタードケア研究会講師
日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー

長崎県出身。幼少時より南米諸国に滞在。東京大学法学部卒業。
多数の外資系企業での通訳を経て、現在は講演、執筆、翻訳活動。
出版翻訳家として認知症ケアの分野を中心に英語の専門書を多数出版するほか、スペイン語では絵本と小説も手がけている。日本読書療法学会を設立し、国際的に活動中。
ブログ:https://ameblo.jp/teradamariko/


『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと~パーソンセンタードケア入門』(Bricolage)
『介護職のための実践!パーソンセンタードケア~認知症ケアの参考書』(筒井書房)
『リーダーのためのパーソンセンタードケア~認知症介護のチームづくり』(CLC)
『私の声が聞こえますか』(雲母書房)
『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』(クリエイツかもがわ)
『認知症を乗り越えて生きる』(クリエイツかもがわ)
『なにか、わたしにできることは?』(西村書店)
『虹色のコーラス』(西村書店)
『ありがとう 愛を!』(中央法規出版)

『うつの世界にさよならする100冊の本』(SBクリエイティブ)
『日日是幸日』(CLC)
『パーソンセンタードケア講座』(CLC)

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